旅行に行く1週間前には、風邪を引いてしまいました。珍しく熱が出たのですが、私は熱にはめっぽう弱く、37度を少し越えただけで気力は萎え、体はだるく、へたへたとなってしまい、部活のないせっかくの土日の休みを、寝たきりで過ごしました。健康を損うたびに「健康第一」を痛感するのですが、元気になるといつのまにかそのことを忘れてしまいます。うがいや手洗い、汗をかいたらすぐ着替える、風呂あがりは特に気をつけるなど、基本的な予防を心がけなければと、自省しています。
ちょっと古い番組になりますが、10月20日の『クローズアップ現代』で、「進学もせず、就職もせずー10代フリーター急増の背景ー」が放送されました。その数日前、NHKスペシャルで、『なぜ会社を辞めたのですか』と題し、大卒の新入社員の3人に一人が、3年以内に会社を辞めていることを取り上げていました。
会社を辞めた理由で一番多いのが、「仕事にやりがいを感じない」(36%)、次に「他にやりたいことがある」「給料・時間などに不満」「人間関係」などと続きます。
そして、次の仕事は「やりがいのある仕事」を選びたいという若者が62%で、「給料がいい仕事」(12%)を大きく上回っていました。
これだけでは、分析などとてもできませんが、それでも、自分や社会をじっくり見つめたり、自分がやりたいことをじっくり考えたりする機会や体験、時間を与えられず、「勉強していい点数を取り、いい高校・大学」というレールの上を走らされてきた若者たちの姿を感じます。また、自分への信頼と自信を持てないため、ちょっとの挫折や困難に出会うと、すぐそこから逃げ出してしまうのかもしれません。もちろん、大きな社会的背景に、リストラと新規雇用の削減で、未来ある若者に就職の機会を与えず、閉息感に陥らせている企業の責任があることは明らかです。教育の責任とともに、若者も、働くすべての人たちも、希望が持てるような社会にしていかなければと思います。
先月は、文化庁芸術祭参加ドラマが何本も放送されました。そのうちいくつかをビデオにとって、みたのですが、一番感動したのは、NHKの「時を蒔く人」でした。リストラされた大企業の元社員が、昔自分が倒産に追い込んだ取引先の小企業の経営者と職業訓練校で出会います。「元経営者が自分になれなれしく近づくのは、下心があるからだ」と邪推する主人公。しかし、実は・・・。企業の激しい競争社会で人を信じることを忘れてしまった企業戦士が、人の温かさに触れ、信じることや仲間と力を合わせることのすばらしさを取り戻していく過程を、神田正樹と中村梅雀が名演技で演じていました。
また、山本周五郎の「雨あがる」短編(黒沢明が映画化を考えていたという、寺尾聡主演の映画の原作なのですが、映画のタイトルを忘れてしまいました)も、心が温かくなるいい作品でした。
秋の夜長、わらび座の「菜の花の沖」観劇も含めて、いいドラマや本にわりとじっくり向き合えた、私の「芸術の秋」でした。
Aさん
休学で2年留年したが、復学し、今高校に通っている男子。人と接するのは相変わらず苦手ですごく疲れる様子だが、彼女ができた。部活のマネージャーの女の子が積極的で、映画に行ったり、土曜の午後は家に遊びに来たり、コンサートに行ったりしている。彼女ができて出歩くなど、休学していた頃には考えられなかった。自動二輪の免許を取ったので、時々彼女をバイクに乗せてもいるらしい。(本当は1年たたないと乗せられないのだが) 休学中は、「学校を辞めても、せめて修学旅行には行って楽しい思い出を作ってほしい」と願っていたが、その修学旅行にも行けた。あの頃には考えられなかった。でも、今はバイクの事故が心配で、夜遅いと、バイクの音が聞こえるまで心配で眠れない。彼女が積極的なので、親としてそれにもめんくらっている。 |
Bさん小4の不登校の児童を担任している。始業式の日に来たきりで、ずっと休んでいる。夏休みの終わりの一週間と、9月の最初の一週間の、緊張した、変化を求める時期が過ぎ、お母さんの方の力が抜けて、部屋に閉じこもっていた子どももリビングに降りてくるなど、楽になったようだが、担任としてどうしたらいいだろう。 |
Bさん今、ちょっと心配なのは、小5の弟が病気を持っているために、学校を休んだり遅れていくことが多く、勉強が遅れがちで、最近不安感を増している。何でも我慢してしまい、人に気を遣うタイプ。いい先生で、学習の遅れを個人的にアドバイスしてくれ、本人もすごくがんばっているが、疲れたり具合が悪くなることが多い。今、特にどう困っているかということではないが、これからどうしていこうかと考えることが多い。でも、いろんなことがあると、それを何とかしようと夫婦で一生懸命話し合うし、絆も強くなるよね。 |
Cさん
小学校入学後、1週間くらいで学校に行きたくないと行き渋り、保健室登校が始まる。半年くらい続いたが、2年生からまったく行かなくなった小3男子。行政が開いている適応指導教室に通っているが、学校へは行こうとしない。他郡市の相談センターに通ったり、県が主催する様々な体験教室に参加している。そういう活動には生き生きと参加し、友達とも仲良く過ごせる。3カ月前くらいからはっそう会にも参加し、毎週水曜日を楽しみにしている。性格は繊細でガラスのような心じゃないかと思うくらい。我慢するタイプ。先生も悪くないし、友達も悪くない。あえていえば「学校が嫌だ」としかいいようがない。行かなくなった当初は、夫婦ともに焦ったし、何とかしなければと思って半ば強制的にも行かせようとしたが、結局ダメ。今は、学校に行くことを半分あきらめて、やりたいことをやらせてやろうというのが考え。でも、ホンネをいうと、学力が心配。 |
Cさんの子は、家や部屋の中に居っぱなしじゃないからいいよね。外に出ていっているから、自分の世界を広げているし、様々な体験で自分に自信を持ったり、いい仲間ができたりしていけると思う。
教育実習に行ったとき、子どもは好きなんだけど、学校に入ることがすごく苦痛だった。くじけてしまい、実習で学校に行くのがいやだった。子どもはおもしろいし、いるととても楽しいんだけど、あの建物の中にはいると箱詰めになる感じ。リラックスできないし、かた苦しくて、ゆったりとした自由な空間がなかった。「こうあるべき」の雰囲気で包まれている。結局教師にはならなかった。今、小6の息子が、「僕疲れているんだ。ここのところずっと学校に行きっぱなしだし」と言うが、その気持ち、なんとなくわかる。
Cさん
しかし、多くの相談機関で、また、県の教育界で大きな力を持っていた人からも、「家庭や子育ての問題じゃないか」と陰に陽に言われた。また、不登校のとらえ方も、一面的で、その認識や理解が浅いことを感じることも多かった。 |
Dさんたまに行くが、ほとんど行っていない中3男子。10月は、文化祭とその後の土曜日に一回行っただけ。文化祭には合唱コンクールにも「口パク」で参加したようだ。でも、学校に行っても「おもしろくない」と続けて行く意思を示さない。先生も友達もいやじゃないと言うんだけど。この前、「僕は本当は小学校の時から行きたくなかったんだけど、そう言うとお母さんは、『行きたくなければ行くな』と言う。でもそれは『行け』というふうにしか聞こえないから、しかたなく行っていたんだ」と話した。何か抜け出す道はないかなと思うけど・・・。はじめの一歩を踏み出すきっかけがあれば。 |
Dさんそう。高校に行く気があるらしいから、それなら学校へ行かなければならないし、勉強もしなければならないのに、ちっとも変化が見られない。バイトの広告はよく見るし、やりたい意思はあるようなんだけど。
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高校へ行かず、バイトで稼ぐフリーター生活を送る若者もすごく増えていると聞くよ。これまでの常識からすると、そんな生活はよくないと思いがちだけど、自分のやりたいことが見つからず、そのフリーター生活を送りながらそれを見つけようとしている若者もいる。バイト生活で、働くことの大変さや、何かを成し遂げたときの満足感を体験したり、「オレはダメじゃない。やればできる」という自己肯定感を育てていけたらすばらしいよね。
『登校拒否を克服する会』の全国連絡会ニュースが、毎月送られてきます。最近のニュースに、体験談が二つ載っていましたので、ご紹介します。
お父さんのお話「自分のレールを求めて」
■手のかからないやさしい子が登校拒否に
私は会社員で、妻、子ども3人、父、母、祖母の8人家族だった。祖父の代からの農家で、父は7人兄弟の長男として、母とともに、親兄弟と私や弟のために休まず働いてきた。旧制中学に行かせてもらえなかった父の分まで、高校はもちろん、大学へ行くのが私の義務であり、両親の理想だった。中学時代は陸上部に入り、私の人生で一番輝いていた瞬間だった。高校では、入りたい陸上部には入部せず、高校から勧められた大学に入った。そして、両親の勧めてくれた会社に入って安心させるのがせめてもの親孝行だった。地元の人の紹介で結婚し、ごく一般的な家庭生活を送っていた。 長男の学校の様子は、小学校6年の担任から聞かされるまでほとんど知らなかった。「提出物を出さない」「作文を、みんなが終わる頃から書き出す」「このまま中学校へ入学すると困りますよ」とまで言われた。子どもを問いつめ、時には手も出した。何とかしなくてはと、塾へ行かせたり、家庭教師を雇ったりした。そのころ私は仕事が忙しく、PTAの役員もしており、「自分の子どもがそんな成績では」の焦りがあり、たまに子どもの宿題を見てやっても私が腹を立て手を出すので、妻は私に宿題や学校のことを話さなくなった。子どもは貝のように口を閉ざし、時おり鋭い目つきで私をにらんでいるようだった。かわいい我が子はどこへいったのかと、よけいに腹が立った。
中学1年の2学期に、いじめの加害者として長男の名前がでたことがあり、このときにきちんと長男と話をしておればよかったと、今でも思っている。長男から妻への暴力が始まったのもそのころからだった。私が子どもに暴力を振るったことで、よけいに妻への暴力がエスカレートした。そして、中学2年の2学期から完全に行けなくなった。私も無理に学校へ行けとは言わなかった。最初の頃は、先生から連絡があったり、同級生から手紙をもらったりしていたが、長男はだれとも会おうとはしなかった。カウンセラーの所へも行った。本人は家から出ないので親だけが行き、帰りに久しぶりに夫婦だけの食事をした。その時から夫婦で話す時間を少しは持てるようになった。
■親の私が変わらなければ
このころは両親と同居していたが、別居を真剣に考えた。以前のように同じ敷地ではなく、親の面倒が見られる範囲で、40数年住んでいた家を出る決心をした。両親は猛反対だったが、説得した。
子どもが立ち直れたらと、「朝起き会」や、神社へお参りに行ったりした。市の教育センターを紹介され、教育相談とホームティーチャー(学生のボランティア)の派遣を受けた。中3になって、親友を同じクラスにしてもらい、家で一緒に遊んだりするようになった。両方の家族で一緒に旅行したりした。担任の先生とも進路のことなどで会って相談をした。市の広報に、「登校拒否を克服する地域交流会」のことが載っているからと、誘いを受け、その後、大阪の克服する会の交流会にも参加するようになった。できるだけ妻と二人で聞くようにしたが、結局父親の私が変わらなければと、ほとんどの場合、私一人で出かけた。先生たちのお話や世話人の方々の体験をヒントに、自分なりの回答を探し出そうとした。昨年の夏には京都で「全国のつどい」に参加し、全国には私だけではなく10万人以上の子どもと家族が苦しんでいる、また、先生方も悩んでおられることを知った。高垣先生の講演会や分科会、大宴会、さらに夜を徹しての父親同士の交流会などで、いっぱいいっぱい勇気をいただき、何かふっ切れたような気がした。でも、最後にみんなで歌った「希望つむいで」の歌詞には涙が出た。
■子どもに教えられ、気づかなかった自分を発見
長男は相変わらず昼夜逆転の毎日で、ファミコンとビデオに明け暮れていたが、たまにやる将棋では負け、身長ではとうとう追い抜かれてしまい、頼もしいかぎりです。「子どもに寄り添うこと」「子どもの気持ちが落ち着くのを待つこと」に心がけようと思った。長男は、今年の3月の卒業式には出席しなかった。進路は、本人が学校へ行きたいと言うまで待つようにした。担任の先生の勧めもあり、定時制高校に通うことになり、今のところ休まず通っているようです。まだまだ少し道が開けたばかりで、この先どんな傷害があるか予測がつかず、不安でいっぱいです。でも、その時々にぶつかった時、それが自分のレールを敷いていくときなのだと思う。親の敷いたレール、それがイヤで歩いてきたレール、しかし、親となった自分が今、子どものレールを敷いていたのだ。子どもに教えられ、気づかなかった自分を発見し、いろんな方々に出会えたことを、本当にありがたく感謝している。
お母さんのお話「命つむぐ人は、やさしく強い」
■小学校−家でゆっくり大きくなろう−
末娘が「学校、こわい」と玄関で動けなくなったのは、1年生の秋だった。「学校の近くまで行くと、建物や木がウワーって襲ってくるねん」と泣く。朝起きられなくなり、体の不調を訴えるようになった。そのうち“赤ちゃん返り”が始まり、「こわい夢を見る」と言って、添い寝をしないと眠れなくなった。教育相談室へ通い、「登校拒否を克服する会」に参加して、少し安心できた。娘が眠っている朝の間に自転車で走り回って、不安やイライラを吐き出した。何か言いたげな義母、「風邪で休んでいる」と取り繕う私の母に、娘の私もいらだった。心配し励ましてくれる知人の言葉に、よけい傷ついた。いつも責められている気がして落ち込む私に、夫は「大丈夫や。間違ってない」と言ってくれ、上の二人の娘もよく協力してくれた。「お母さんと一緒なら行ける気がする」の言葉に、教室の娘の机の後ろに私の席をつくってもらった。家に帰ると二人とも「疲れた」と寝ころばずにいられなかった。そんなときに娘がポツリポツリと話をしてくれた。「勉強をしよう」と思って行ったのに、学校はその前に、がまんせねばならないことが多かった。なぜ同じカバン、同じ服なのか、いっぱい「なぜ?」があっても、聞けない雰囲気の中で、がまんと緊張の毎日だったようだ。2年生の秋からは校門までの送り迎えになり、ほとんど休まず登校した。3年生になり、クラスも先生も替わった。私や娘の思いがなかなか先生に伝わらず、ちぐはぐな対応が重なった。いい関係になりたいと努力したつもりだが、うまくいかなかった。4年生になって、保健室に登校させてもらい、娘は保健の先生を慕って、休みながら登校した。2学期早々、突然娘の机と椅子が、教室から保健室へ移された。娘からそれを聞かされびっくりした。1年間保健室で過ごした娘は、けがの治療法などを覚え、小さな自信もできたようだった。娘は5年生になり、教育相談にもともに行ってくださる先生が担任で、娘の再々出発となった。
夏休みに、私の心に大きな転機が訪れた。ラジオ体操の折りに、たいそうそっちのけで競ってプレゼントの前に並ぶ子どもたちの姿を家で話したとき、「学校でもそうやで。私は競争したくないのに、学校へ行ったらそんな競争に巻き込まれてしまうねん」と娘が言った。もうひとつは、「石井子ども文化研究所」へ見学に言ったとき、先生から「まだちょっと無理しているのでは?」と聞かれ、娘は「ちょっとでも学校へ行ったとき、お母さんがうれしそうな顔するから」と答えた。二つの出来事から、「この子にとって学校は、行ったら自分じゃなくなる所なら、行かんでいい。家でゆっくり大きくなっていこう」と心の底から言え、ホッとした瞬間だった。
■中学生−信頼の糸がつながる−
「本人が行かないと決めているので、必要なとき、こちらから連絡します」と中学校に伝え、了解を得た。3年生になる前の春休み、学校に出向いた私に、「進路のこともあるので、今年は娘さんと少しずつ接していきたい」と言われ、「そうしてください」と答えた。初めての家庭訪問、玄関で10分くらい話して帰られた先生を娘は、「あの先生はいい人や。人間として話してくれる人や」と言った。その後の訪問で、「話をするだけでもいいけど何かしようか」の問いに娘は、「勉強」と答え、先生との約束の日を楽しみにするようになった。「見上げてごらん、夜の星を」という定時制高校の生徒と親が綴った本を見て決心したらしく、定時制高校を受験した。
■高校生−今青春している娘−
娘が学校に行けない自分を責め、命を消してしまいたいと思ったときがあった。「私なんか嫌いやろ」「私なんかおらん方がいいと思ってるやろ」という娘の背中をなで、「どんなMでも好きや」と私は言った。そんな娘が、一日一日命をつなぎ、すてきな人生を織っている。今までの分を取り戻すように、勉強に自信をつけ、友達との交流を楽しんでいる。先日、従兄弟との会話を聞いた。「僕はイヤなことからすぐ逃げるけど、Mちゃんは逃げずに闘う人なんや」「そうやな、登校拒否する人は、逃げたりごまかしたりでけへん子が多いかもな」。なるほどなと思った。
夏の『登校拒否・不登校問題 全国のつどい』各分科会や分散会の報告がまとまりました。それぞれの分科会・分散会ごとにB4の用紙一枚でまとめられています。お読みになりたい方は、電話で西までお知らせください。読んでみたい分科会等の番号(A〜V)を言っていただければ、FAXか郵送でご希望の箇所をお送りします。
A 基礎講座 家庭で分散会
B 〃 学校で分散会
C 特別講座1 医療とのかかわり
D 特別講座2 ひきこもりと家庭内暴力
E 分科会 小学校の登校拒否・不登校
F 〃 中学校の登校拒否・不登校(全体)
G 分散会 〃 (1・2年)
H 〃 〃 (3年)
I 分科会 高校生の登校拒否・不登校
J 〃 青年期の課題(10代)
K 〃 〃 (20代以上)
L 〃 学校とのかかわり・学校づくり
M 〃 子どもの居場所(学校・家庭)
N 〃 〃 (地域)
O 〃 さまざまな進路・自立にむかって
P 〃 親の役割と家庭づくり
Q 〃 相談員・相談機関のあり方をめぐって
R 〃 手をつなぐ輪をひろげて
S 〃 登校拒否・不登校と非行
T 交流会 子どものひろば
U 〃 障害を持つ子どもの登校拒否・不登校
V 『全国のつどい』の感想やその後の様子