No.42  1997年10月

 今年は何年ぶりかで生徒会顧問を担当することになりました。その生徒会の最大行事である飛翔祭(内野中学校の運動会のこと)が間近に迫り、バタバタとあわただしい毎日を過ごしています。20代の頃は、生徒以上にはりきって、新しい企画や盛り上げるための様々な手だてを先頭に立ってやっていたのですが、今年の自分を見ると、我ながら情けない思いです。

 しかし教師がちっとも動かないのに、生徒会本部のみんなは実によくがんばっています。「この先生に頼っていたんでは、仕事は進まない!」と思っているのかもしれません。私が、「あっ、これやっておかないと」とあわてて生徒会室に行くと、「ああ、それならもう準備してありますよ」と、なんとも頼もしい声が返ってくる。そんな毎日で、私はいつも、「大したもんだねぇ。ほんとにすごいねぇ」とにこにことうなずいているだけです。

  しかし、すごいのは生徒会本部だけではありません。各チームのリーダーの3年生や、チア・パネル・衣装の生徒たちも、普段の授業には絶対見せないような生き生きとした表情と機敏な行動を見せています。「すごい奴だな!」「大した奴だな!」と驚かされることがいっぱいあり、そんな生徒たちからいっぱいエネルギーをもらう毎日です。

 また、内野中の先生方にも感謝感謝の毎日です。まだ学校のこともよくわからない2年目で飛翔祭を担当することになり、右往左往している私に、「西さん、これ去年俺が作った飛翔祭関係の計画や文書・プログラムの原稿が入ったフロッピー。西さんのパソコンでも使えるように編集しておいたから使って」と、何日もかかって去年の計画を編集し直して渡してくれた、去年の生徒会顧問のK先生。「そろそろ〜の準備をした方がいいんじゃないかな」と、抜けがちな私にさりげなくアドバイスしてくれるS先生。「これ、お願いしたいんだけど」と頼むと、「いいですよ」といつも気軽に引き受け、確実にやってくれるI先生。内野中の全ての先生が、未熟な私を助けてくれます。居心地の良さを日々感じます。

 このたよりがみなさんに届く頃には、私たちの飛翔祭も終わっている頃でしょうが、当日がどうあれ、私にとってこの行事は、とてもいいものになることは間違いありません。


先月の定例会から


Aさん

  小5女子。2学期から全く行かなくなった。4年生の頃から友達関係がうまくいかなくなり、5年のクラス替えでさらにそれが悪くなったようだ。学校では一人でいることが多く、「(仲間に)入れて」と近づいても、無視されたり、嫌々入れてやるという態度をされることが多く、本人にとってすごく居づらい場所だったようだ。休んでいる今は、学校に行っていなくても悪いとは思っていない感じ。むしろ人と会わずに入れて、ホッとしているようだ。1学期は、イライラして妹にあたることも多かったが、今は穏やかになり、妹にも優しくなった。

 A子ちゃんは低学年の頃から「いい子」と先生方に見られ、教務室でも「いい子だね」とよく名前が出る子だった。でも高学年になって、笑顔が減って心配していた。友達関係や先生との関係で、疲れてしまったんじゃないかな。(A子ちゃんの学校の先生)

 学校の何が不満なのか、直接言わないかわりに作文用紙に自分の気持ちをぎっしり書くだけでもすごいこと。大したもんだなと思う。お母さんの対応もいいと思うよ。学校に行かなくなると、親は焦って一日も早く行かせるために、親の気持ちを優先させて子どもに問いただしたり、親の考えを強制したりしがちだけど、Aさんは子どものつらい気持ちに寄り添うことを何よりも優先させている感じがする。だからAちゃんも安心して自分の気持ちを、乱暴な言葉だけど文章にできたんじゃないかな。
 同じ学年に、Aさんの気持ちをわかってくれる友達がいたらいいなと思う。

Bさん

  小1からずっと行かず、今小6。最近は「もののけ姫」に狂っている。近所では年下のこと楽しく遊んでいるし、家では本ばかり読んでいる。趣味の小物作りで、それをフリーマーケットなどで売り、お小遣いを稼いで、それで弟たちにプレゼントを買ってやったりしている。「私は事情があって行かないけど、あんたたちは行くんだよ!」と弟たちには言っている。(ビッグコミックで連載された)「どんぐりの家」の単行本が気に入って、親と一緒に熱心に読んでいる。おそらく中学へ行っても行かないだろうから、親としては最近真剣にパソコンなども使ったホームエデュケーションを考え始めている。
  訪問相談員が時々家庭訪問をしてくれるが、『「学校へ全く行っていないわけだから、卒業証書を出すのは問題じゃないか」と教育委員会で問題になっているんですよね』と言われたりすると、「そうなのか」と元気もなくなり、「何のための相談員なのか」と疑いたくなる。自分が担当している中学生の事例を話し、『「行く」と言っていたのに、結局学校に行かなかった。裏切られた』と語る相談員は、不登校についてどう考えているのだろうか。

Cさん

  中3男子。中1から行っていない。友達が一人いて、電話をくれたりするけど、電話での会話を聞いていると、どうも表面だけの友達みたいで、寂しくないのかなと思う。本人は「いるだけいい」と言っているけど。


 うちもそう。最近の子どもたちはみんなそうなんでしょうか。表面だけの友達でいいというか。

Dさん

 去年の2学期から登校していない小3男子。最近学力の遅れが気になる。勉強は何もしていないし、漢字や計算もわからないまま大人になるんじゃないか。本人は、今は「(1・2年の頃)むりやり学校やスイミングに行かされた」と親を恨んでいるが、やがて大人になったとき、「どうしてむりやりでもあのとき俺を学校に行かせなかった!」と親を恨むんじゃないだろうか。

 やれるて。その時がきてその気になれば。小学校の時全然勉強できなかった奴が会社の社長やPTA会長なんかやっている俺の友人を見ると、学校時代の成績や勉強ができるかどうかなんて、どってこないことがよくわかる。

Dさん

 その人のように性格的に元気な人ならいいけど。私自身「どうして自分の親は私を学習塾に行かせてくれなかったんだろう。自分がもっと成績が良ければ、もっと幸せになれていたのに」と思うことがよくある。

  いろんなケースを聞くけど、「その時がきて、その気になれば、自分の意志でどんどん勉強し身についていく」かどうかは、性格の問題じゃないんじゃないかな。元気な性格とか、積極的か消極的かというより、「自分を大切にする心が育っているか」がカギじゃないかな。「自分はダメな人間だ」と思っている限り、努力する気持ちは起こらないし、元気も出ない。たとえ今は勉強で同世代の人に遅れていても、人と比較せず「自分は自分であっていいし、自分が大好きだ。自分の人生を大切にしたい」という心が育っているなら、必ずどこかでチャンスをつかみそれを活かす人生を歩めるよ。

Eさん

 小3男子。障害があるので、毎日親が学校に付き添って(別室で)過ごしている。兄や姉の時と違い、子どものことが見えすぎるくらい見えてしまうことが、自分でも不安。例えば、兄や姉の時は成績がたとえ芳しくなくてもそれほど気にならなかったが、小3のこの場合は、テストの問題も今やっている学習内容も親にはすごくよく見えてきて、「こんなところで今からつまずいていたらこれから先が心配」と焦ってくる。だから帰宅してから、(友達と外で遊ぶこともできないので)親が本人の勉強を見ているのだが、祖母にも「やらせすぎじゃないの?」と言われている。しかし勉強を見てやるようになってから、以前は50点くらいだったテストも,  80点くらいとれるようになり、それも本人はうれしいらしく、「やればできるんだね、お母さん。これからもいっぱい教えてね」と言ってくる。すごく努力する子。本人の努力はすごいんだけど、いやがらないからといっていろいろやり過ぎていいのだろうかと、時々悩む。だけど、今子どもが習っている内容を見ると、すごく多くてしかも進み方も速い。これだけの内容を、わからないままぼーっとしていることはすごくつらいだろうなと思う。塾も大変だろうけど、「わからずにじっとしているつらさ」よりはましのような気もして・・・。

  子どもの姿が見えすぎると、どうしても過干渉になってしまうよね。特に末っ子はどうしてもそうなるし、ただでさえ親も子離れしにくい。
  親が子どもの力以上にお膳立てしないことが大事じゃないかな。今手助けが必要なところは手助けしながら。

  障害のある子はがんばることにためらいがない。やらなくちゃいけないと思うことはしっかりやる。ハンディがあるからがんばれるってことあるよね。だけど、学校のペースがすごいから、がんばれる子だけに、それに必死に合わせるとなるとかなりつらいんじゃないかな。
 ところで今高校生を教えていて、本当にがんばらない。どうしてだろうと、ちょっと絶望的な気持ちになっている。「3分スピーチをやるから、準備しておくように」と課題を与えて、「大丈夫か。もしどうやったらいいかわからないようなら、いくらでもアドバイスするから聞きにおいで」と言うと、「大丈夫。まかせとけって」と調子よく答えるのに、いざ本番になるとちっともできず、ふざけたことを言ってごまかそうとする。特に男子にその傾向が強い。本当に情けない。ああいう子たちがこれからの世の中のかなりを占めていくと思うと、恐ろしくなる。「まあいいや」で済まされてきた男子が多いのでは? トラブルが起こってもそれを積極的に解決しようとするんじゃなく、時間が過ぎるのを待つだけ。「今さえよければそれでいい」「今さえ何とかなれば後は野となれ山となれ」という感じ。

  今の若者の否定的な面ばかり見るのは、一面的なんじゃないかな。確かに大人から見たら、高校生は考えも浅いし未熟だけど、感じる心はとても素晴らしいものを持っているし、「こいつ、すげーな」と思う高校生もたくさんいるよ。ただ、そのすごさが見えにくくなっていたり、発揮する場がなかったり、自分でも自分のすごさに気づかないままだったり。そこが一番問題なんだと思う。
 

  高校生を教えていて、それはよくわかるんだよね。みんなが一律に(今の日本の)高校教育を受けなければならないというところに、大きな問題があるんじゃないかな。3分スピーチなんて、もしかしたら一生やらなくてもいいかもしれない。だけど高校に来るとそれをやらされ、そこで自信を失い・・・。もっといろんな選択肢を見せてあげないと。

  それは高校に入ってからでは遅すぎる。小・中学校時代にそのことを伝えてほしい。 小学校や中学校の勉強をみていると、できない子にとってみたら、「生きる力」をどんどん奪い取っていくようなもののように思える。これでもかこれでもかと、自分がダメなことを思い知らされるような。

  自分の経験から言って、中学の時の勉強は、そんなに大きな意味はないように思う。自分は今大学で物理をやっているけど、中学までの理科は大嫌いだった。だけど、高校で理科のおもしろさを知り、大学で好きな勉強を思いっきりやるようになって、「これが本当の勉強なんだ」とやっとわかったし、それを子どもたちに伝えたい。好きなことなら誰だってがんばれるんだから。だけど、勉強だけ「がんばれがんばれ」と言われていると、本当にがんばりたいときがわからなくなったり、がんばり方がわからなくなったりするんじゃないかな。だから、自分が好きなことを見つけるのが一番じゃないか。好きなことをがんばる中で、他のこともがんばれるようになってくるものだと思う。

  たしかにそうかもしれないね。好きなことというのは、たとえつまずいたときでさえも、それを乗り越えようとするし、乗り越え方を学び、また力をつけていく。自分もわが子に、「苦しいことや嫌なことは何をしたってあるもんだ。だから、ちょっとやそっとのことでくじけてはダメだ」とすぐ説教調で言い聞かせようとしてたけど、そういうことって説教されて学ぶんじゃなくて、自分の体験の中で感じとっていくことだよね。「自分がやりたいこと」をやる中で、嫌なことやトラブルを乗り越えることを学ぶし、自分を振り返ってみてもそうだった。

Eさん

 中3男子。中2の途中から行かなくなったが、1学期末から時々学校に行き始めた。最近、行かなかった頃の自分の気持ちを少しずつ話してくれる。「学校に行かなくなった頃は、死んでしまいたいと思っていた。生きることと死ぬこと、どっちを選択したらいいだろうかと迷っていた」「親が気晴らしにドライブに誘い出してくれたこと、感動するビデオを探して見せてくれたこと、映画に連れていってくれたこと、どれも初めはいやだったけど、今思うとよかった。助かった」「学校に行かなかったことが不安で不安でしょうがなかった」「精神的に強くならないとね。俺は今まで腕力をつけなければと思っていたし、それが強いことだと思っていたけど、やっぱりそうじゃないよね。本当に強いってことは、精神的に強いってことだよね。一人でもやれるっていうか」・・・。前は何もかも否定していた子が、受け入れる姿が見えるようになった。そうすることによって自分が変われると感じているようだ。学校に対して反抗的な態度をとる本人を、学校側が「まず受け入れよう」としてくれるようになったことも、本人の気持ちを柔らかくしてくれているのかもしれない。

  先生って、「よかれ」と思い、いろいろ話したりお説教してくれるけど、先生にお願いしたいことは、「先回りしないで」ってこと。まずとにかく本人を受け入れてほしい。本人の話を聞くだけでいいし、「ふんふん」とうなづきながら聞いてくれるだけで、子どもは自分の考えをまとめていく。「何かしてやれないか」という先生の善意(先生に限ったことじゃなく、親もそうだけど)はありがたいけど、これが実は子どもの心を閉ざし、追いつめることもあることに気づいてほしい。
(西が参加した2カ所の例会を中心にまとめました。)

 大阪で開かれた『全国のつどい』に参加した大学生から、その様子と感想をまとめていただきました。ご報告します。


第2回登校拒否・不登校問題

 

全国のつどいに行ってきて


《大学生の報告》
 
 去る8/23、24、大阪で第2回の『全国のつどい』がありました。全国から約600人の方々が参加し、日頃の悩みを出し合ったり、不登校について語り合ったりしました。新潟からは、親の会の方、先生、学生など10人ほどが参加しました。学生は、新潟大学から6人参加しました。
 つたない文章ではありますが、参加した学生でまとめたものを報告とさせていただきます。

 

◇記念講演 窪島務さん 〜(滋賀大学)〜

(主に印象に残ったことを報告したいと思います)

 窪島さんは、自分が親として子育てをしていく中で、子どもたちと関わりたいと思っていても関われない状況があり、子育ては親の責任とされるが、本当にそうだろうかと疑問を感じていらっしゃいました。また、社会(企業の単身赴任など)が、子どもと父親との関わりを遠くし、そのため、母親の手に子育ての責任が押しつけられている状況であることをお話ししてくださいました。
 そう行った状況がある中で、子どもたちは、本当に大切にされるという「愛」を求めているそうです。教育学には、「エロス」と「アガペ」という2つの愛があるそうです。エロスとは、美しいものや能力、より優れたものを求める愛のことです。それに対しアガペとは、あるがままが大事、存在そのものが大事なんだという、すべてを受けとめる愛のことです。今、子どもたちは、アガペを求めている、ということでした。
 窪島さんのお話の全体を通して、そのままでいいんだ、あるがままでいいんだということが、ひしひしと伝わってきました。そして、そう思うこと、思われることを自分自身が求めているということに気づき、同じように、誰もがそのままでいいんだなあ、ということをあらためて考えました。



◇第2分科会 「中学生の登校拒否」に参加して


 この分科会には、登校拒否のお子さんのいらっしゃる親御さん、中学校の先生、学生が50人ほど参加していました。学生は大学生だけでなく、過去に不登校の経験のある高校生が一人で来ていたり、現在不登校の中学生もお父さん、お母さんと一緒に来ていました。
 会では、親御さんの苦労されている様子や、先生方のがんばっていらっしゃる様子だけでなく、学生の方々の明るく、前向きな意見が聞けて、参加した私も元気を分けてもらえたように思います。大阪の人はおおらかで、口調も楽しいので、苦しみながらもみんなでがんばっていこう、という思いが伝わってきました。参加してよかったです。
 ただ、私が思ったのは、このような会に来ることができるお子さんは、外に出られる元気がある、ということです。そうなるまでは、私には想像のできないような辛いことを乗り越えてきたと思うし、全国には、まだまだ一人で家の中で苦しんでいる子どももいると思うと、せつなくなります。また、親御さんの方は、会に来ていらっしゃる方でも、苦しい思いをされている方が多い、ということを知り、私たちがちからになれることはないのか、と考えていきたいと思いました。



◇第6分科会 「子どもの居場所・学力保障」に参加して


 子どもの居場所・学力保障の分科会に参加しました。
 報告は、居場所を体験した高校生のレポート、私たち「ハッピーかい そうなんかいの会」からのレポート、そして、学校での居場所づくりをしている先生のレポートがありました。居場所を体験し、自ら居場所を作ろうと思って今までやってきた高校生のレポートの中に、「居場所は居心地がよすぎてはいけない」という報告がありました。私は初めはよくわからなかったけど、それは、居場所は子どもが元気になれる場所、楽しいと思える場所であって、居座るところではなく、自分から飛び立っていける時間として必要なのだということを、この人が感じているからなんだなあと思いました。しかし、大人から「居場所は居心地がよすぎればよすぎるほどいい。本当によければ自分から飛び立つ」という意見が出されましたが、それ以上は討論されず、そこで遮られてしまったのが残念だと思いました。他にもその場に集まった人の中では、そういったレポートを中心に話し合いを進めていくというよりは、居場所の運営面での課題の話がほとんどを占めていたような気がします。居場所を作る際に、そこが一番問題になるのだなあと思いました。したがって、「ハッそう会」への質問でも、運営面でのものがほとんどでした。もう一つ、学校現場での居場所のレポートでは、職員室登校、校長室登校の実践を聞くことができました。
 居場所を作ろうと思っている人にとっては、経営が最も大事な問題となるのかもしれません。しかし私は、子どもを本当に受けとめようとしてくれる側がいれば、どこにでも、どんな形からでも、居場所をスタートすることができるのではないか、と思いました。それには、子どもの視点から見たものをもう少し大事にしなくてはいけないのではないかと思います。最後に、ある高校生が「わかってほしいのは、どんなに辛いかっていうことなのに、大人の人はこういう会に参加して、言うことだけ言ってわかろうとしない」と言いました。その言葉はせつなくなるものでした。100%受けとめてあげること、わかってあげることは、本当に難しいことだと思います。つらさを受けとめる側のつらさも、誰かが受けとめることが必要であると思いました。



◇参加された方の感想から


 みなさんの深刻な話に、ただただうなずきました。私の子は非行問題に悩まされてきたので、ちょっと違うかなと思いながらも、つらい親の気持ちは一緒やなと思って涙しました。特に青木先生の「子どもを見る目」という言葉に内心ハッとさせられました。子どもを信じているつもりでも、どこか、子どもに疑いを抱いてみているのではないかと反省します。でも、最後まで子どもを信じてやれるのは親だと思います。(「青年期」分科会に参加された親御さん)

 こんなに子どもとつきあえるお母さんに驚きました。夫の協力もあまりない中、一人で5年間もつきあえるなんて・・・。私のところはそこまでいっていないと安心するのではありません。そこまでやっているお母さんもいるので、子どもの心の叫びに、とことんつきあってやろうと思いました。(「父母の役割と家庭づくり」分科会に参加された親御さん)

  「こうあるべきだ」「こうあらねば・・・」と思っていたことが、ずいぶん楽になりました。苦しさのあまり勉強したけど、わかったふりをしてしまい、今ある現実からの出発という言葉が、胸を突き刺しました。参加して本当によかったです。(大阪の親御さん)
 今回、学生として参加させてもらい、今まで見えなかったことが見えてきたような気がします。全国には悩んでいる方がたくさんいらっしゃるということ、子どもの悩みを受けとめるのは、並大抵のことではないということなどに気づき、一口に「受けとめるのが大切だ」と言うことはできないなあ、と思いました。

 また、大阪の方々をはじめ、全国の人たちの温かさに出会うことができ、説く手も感謝しています。来年もぜひ行きたいなあと思っています。

   最後になりましたが、アーベルの会のみなさんには、学生のために多額の援助をしていただき、深く感謝しております。往復の交通費に使わせていただきました。ありがとうございました。


   つづきがあります
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