No.40 1997年8月

 学校では、待ちに待った夏休みが始まりました。7月以降、特に期末テストが終わってからの蒸し暑い日々は、生徒の集中力がガクンと低下し、午後の授業となるとかなりの授業がお手上げ状態です。教師が気力を振り絞って必死に説明していても、多くの生徒が「精神的な不登校状態」で、教師の声だけがむなしく響いているという風景が、多くの学校で見られたのではないでしょうか。

 「日本のように蒸し暑い国こそ、7月に入ったら夏休みを!」、この要求は、決して非現実的なものではありません。ヨーロッパでは6月10日から夏休み(8月末まで)というところがいっぱいあります。なのに日本の学校は膨大な学習内容を、教師主導で必死になって教えても終わらず、生徒は身につかないし、落ちこぼれていく。全くひどい状況です。学ぶ内容(教える内容)を徹底的に削ることが、現場の大多数の先生が望んでいることです。

 7月は、毎日のように神戸の事件が取り上げられ、様々な角度から教育や学校、家庭や地域、そして子どもたちを取り巻く文化や社会などが論じられました。大きく頷けるものもありましたし、「そうかな」と首を傾げる論調もありましたが、多様な意見にふれることができたことは大いに勉強になりました。アーベルの会でも、この問題について8月の新潟例会の懇親会の時を利用して意見を交換できたらいいなと思っています。


先月の定例会から


Aさん

 『新潟の教育情報』のKさんの文に感動して、初めて参加した。小3の女子だが、去年の秋から1日おきくらいに行かなくなった。妹の入学をきっかけに、今春がんばって行っていたが、また月曜日に休み、やがて1日おきになり、今週はまだ行っていない。不登校の講演会の講師に相談したら、「子どもの声を聞いて受け入れてほしい」と言われたが、「今がんばっていかなければ、ずるずるとだめになっていく」と思っている夫は納得できず強制した。しかしやっぱりだめ。本人は、自分(母親)に、「もうしゃべらないことにした」「死にたくなる」と言ったりする。
  夫の母親はすごく一生懸命で、「近くに兄弟で行かなくなった子がいるが、そうなったらおしまいだ」と熱心に働きかける。自分は「ちょっと待ってほしい」という気持ちなのだが。
 保育園の頃から行きしぶりがあり、小学校入学して1週間くらいで休んだ。1学期は月に1〜2回、朝「頭痛い、おなか痛い」と休み、結局8日休んだ。体育や運動会が嫌いで、2学期はマラソン大会の練習もあり、14〜15日休んだが、絵を描くのが好きで、文化祭の作品作りが楽しいと休まなくなった。その頃「私もう休まないことにした」と親に話したのを覚えている。2年になって夏休みのプールも一日も休まず楽しく行っていたが、2学期、自分が入院したのがきっかけなのか、退院後2日行っては1日休む感じで休み始めた。
  このままだとずっと行かないと思う。本人を苦しめないためには、一切学校のことを言わないでおこうと思う一方、いつになったら自分から行くようになるんだろうかと不安。

 お母さんの話を聞くと、「行ってほしい」という親の気持ちがよく伝わってくるね。それがある限り、親はいらいらするし、子どもはそのことを敏感に感じとる。

Aさん

 学校は行かせないとだめだと思っていたし、無理矢理行かせれば行くので、「まだ行く力は残っていたんだ」と。祖母は「甘やかしているだけだ。甘やかした親が悪い」と責める。夫も「行かせなければダメだ」と思っており、「休ませたい」という自分と意見がくい違っている。
 1年の時から同じ先生で、先生のことは好きみたいだが、電話ではその内容がわかるから出ようとしない。本を読むのが大好きで、家では4コママンガを描いたりしている。先生は、「本が好きだね。今度どんな本読んだか聞かせてくれる?」「この本読んだらおもしろかったから、読んでみない?」とアプローチしてくれる。もっと担任と情報交換した方がいいのだろうが、億劫であまりしたくないのが本音。


Bさん

 うちの子も先生から電話が来ても「やだ」と出ない。だけど電話を切った後は、「何の話だった?」としつこく聞いてくる。先生は積極的に本人とコンタクトを取りたがっているが、子どもは会いたがらない。どうしたらいいだろうか。

そんなときは会わせなくていいんじゃない?

 ある町で、「訪問相談員」の肩書きをもらった元校長先生が、はりきって町のすべての不登校児の家を訪問した。ところが何人か子が会おうとしないのを見て、「せっかく心配してきたのに、(会うこともできないなんて)しつけがなっていない」と怒ったという話を聞いた。
 どうも先生は子どもの心の中につっこみすぎの傾向がある。例えば「本を読む」という行為は、「本と対話する」という精神的な営みであって、たとえ親や教師といえどもそこに入り込むことは許されないんじゃないかな。「子どもとの会話のきっかけをつかみたい」という気持ちはわかるが、本人には、その話題は心を強制されると感じることだってあると思う。

 Aさんの子は小3。お話を聞いていると、本人にとって学校が居心地のいい楽しい場になれば、復帰する要素はいっぱいあるように感じた。そしてそれは先生と話し合うことによって、かなり実現できるんじゃないかな。「体育が嫌いで図工が好き」というあたりに、切り込んでいく余地があると思うんだけど。先生に、親がつかんでいるわが子の特徴(個性)をていねいに話し、先生からも学校での様子や先生がつかんでいるその子の特徴(個性)を語ってもらい、どんな対応ができるか、よく話し合ってみたらどうだろう。

Cさん

 小3から5年まで行かなかったときは、どうってことなかったけど、6年の修学旅行をきっかけに行き始め、また行かなくなってしまいショックだった。「またか」という感じ。担任に相談を繰り返したが、知らず知らずのうちに担任を責めていたと思う。先生にとっては、子どもより親の存在が重荷だったようだ。親が先生に何かを話そうとするとすごくかまえている感じがした。
 決して学校や先生を否定しているわけではないし、力を合わせたいと思い、先日夫婦二人で学校へ行き、先生と話した。その場で先生も「子どもとの対応より、お母さんへの対応をどうしたらいいかがすごく負担だったんです」と本音を話してくれ、すごくよかった。自分も知らないうちに前の担任と比べていて、先生を非難していたのかもしれないと気づかされた。
 でもやっぱり学校って行きにくい場所だよね。「明日学校で先生と話す」と思うと、ドキドキする。先生と話したいんだけど。


Dさん

 中2の女子。「友達と話していると楽しいんだけど疲れる」と言う。仲良し3人組だが、暗い表情で会話している。すごく不思議な感じ。

 担任している中学生を見ても、特に女子は、「気を使わない関係」や「会話がなくても安心できる関係」とはほど遠い感じ。常に会話に入っていかないとうまく関係を保てない様子。

Eさん

 去年まで3〜5才の幼稚園児を受け持っていた。4才の子が「先生、我慢という言葉は知ってるけど、それができないんだよね」と言うのを聞いて、小さい子でも小さい子なりにちゃんと自分を持っているのを教えられた。でもストレートに自分を出してくれる分だけ、(今教えている小学生より)やりやすかった。35人の児童を担任しているが、一人一人がみんなそれだけの感性を持っているんだと思うと、責任の大きさを感じる。
 登校拒否問題を勉強して、初めてこの会に参加して、「待つのが大事」ということがよくわかったが、教師になったら「待てなくなっている自分」に気づいた。子どもたちは全然求めていないのに、教えることがすごく多い。子どもたちの生活から生まれた疑問に応える学習内容なら、どんどん入っていくと思うが、そんなゆとりはなく、結局教え込まなければならない。幼稚園の時は、「午前中川で遊ぼう」と子どもたちを連れていくと、「先生、石っていろいろあるね。絵を描ける石もあるし、遊べる石もあるし、割れる石もあるし」と時間を忘れて遊んでいる。必要の中で学んでいく感じがすごくしたけど、小学校はまるで「立て板に水を流すような教育」になっている。


Fさん

 自分のクラスの子が不登校になったとき、「自分のせいだろうか」「自分が何とかしなければ」と思いつめていた。しかし同僚の先生に、「あなたはそんな大した人間なの? しょせん一人の人間なんだから、大したことできなくて当たり前と思うべきよ」と言われ、ホッとして気が楽になった。しょっちゅう家庭訪問もしていたが、カウンセラーに、「たび重なる家庭訪問は、その子を家にもいられなくすることがある」と言われた。今は「その子がその子らしくあればいい」と思うようになっている。(自分は独身なので)親にはかなわないし、教えられることが多い。
 学校での個別懇談会では、親は「気を使っているな」と感じる。本音がなかなか聞けない。自分も本音を出しにくい。この会だと親の本音が聞けるし、本音が話せる。


Gさん

 中1男子。学校へは行っているが、担任の先生にことごとく反発する。「いじめのアンケート」にも、「知らん」「知らん」と書き、最後には担任へのひどい悪口を書いていた。親はそれに気づき、「それはよくない」と言ったが、「これでいいんだ」と言うので、「それほど担任が嫌いなら、むしろこの子の気持ちをそのまま伝えた方がいいかもしれない」と思い、あえて書き直させなかった。担任から、「お母さんは何もしないんですか」「指導が必要です」と言われ、先生と話し合うことになった。その話し合いに、「対等に、同じ土俵に立って話し合いましょう」とアーベルの会に参加しているH先生が加わってくれ、すごくうれしかった。H先生のありがたいところは、話し合いの前日にも、その翌日にも電話をくれたこと。特に翌日の電話では、「お母さん、思っていること全部出せましたか?」と気遣ってくれ、本当にありがたかった。学校と家庭がいい関係をつくる場合、第三者の先生の役割は大きいと思った。

 教師をしていて感じることの一つに、「立場がじゃまをして本音で話せない」ことがある。それを乗り越えたいが、なかなかできない。

 「本音を出す」というのは、例えば「同じ体験をする」などを通じて信頼し合える関係が育ったとか、「この人なら何をいっても大丈夫。受け入れてくれる」という安心感があるなど、特別な関係が存在しないとなかなかできないことで、今の社会ではほとんど無理なのではないか。もちろん、学校と家庭が本音を出し合える関係をつくる努力をすることは大事だが、本音を出せなくても上手につきあったり、子どものためにうまくかかわり合えるにはどうしたらいいかを考えることも、今とても大切なんじゃないか。

Hさん

 小2男子。5月半ばから完全に行かなくなった。先生とうまくいかない。「私はこう思いますから(本人に)こう言ってください」「お母さんはそう言いますが、私は違うと思います」「何で(子どもを)怒らないんですか」と、指示されたり批判されることが多く、この先生がいると思うと、親自身学校に行きたくない気持ちがどんどん強まる。  子どもは3時くらいになると生き生きしだし、放課後になると学校へ行って友達と遊んでいる。どうしていけないんだろうと思う。先生の顔を見ると逃げ出す。
 先日絵を描いて、そこに「先生ありがとう」と書いた。「先生に届けてくれ」と言うので届けたら、先生はとても喜んでクラスに貼りだした。それを知った本人は、「もう絶対先生に届けるな」と怒っていた。「友達が大事だからどんどん遊びなさい」と先生は放課後友達と遊ぶのを勧めてくれているが、クラスの子には「○○ちゃんは学校に来てないけど、友達なんだから遊んであげてね」と言っているらしい。先生は善意なのだろうが、どうも本人の意識とずれを感じる。
 「お母さん、学校行ってほしい? 行くとうれしい?」と聞いてくるが、どう反応したらいいのだろう。本人は退屈でしょうがない。ジュースや甘い物が大好きで、そのために肥満になっている。先日ジュースを自分で買って隠しておいたことを父に見つかり怒られた。「僕じゃない」と最後まで認めようとしなかった。1日6食くらい食べることもある。

「食べるな」じゃなく、本人と相談してルールを決めたらどう?

  中学で娘が太り始めたとき、「やせれば人生観が変わるのに」とダイエットを勧めたりもしたが、いじめを悩んでいる時期で、本人は「そこまで気が回らない」と言ってたのを思い出す。食べることがストレス解消にもなっていたようだ。

 でも小学校低学年の肥満は後をひく。だから6食は改善した方がいい。

 1日6食というのは親の責任だと思う。摂食障害(過食)の傾向があるのでは。親の言うことは聞かなくても、医者の話は聞くんじゃないかな。一度専門の医者から見てもらい、アドバイスをもらった方がいいかもしれない。
 昼夜逆転についても、思春期の昼夜逆転と小学校低学年のそれとは、意味が違うんじゃないだろうか。昼夜逆転で身体のリズム(ホルモンのバランス)が崩れている子が増えていると、ある集会で養護の先生が報告していた。子どもに健全な生活を送らせるというのは親の義務ではないか。

Iさん

 うちの場合、兄が不登校で小2の弟も行かなくなった。(真ん中の姉は行っているが) 「上の子が学校に行かないと下の子もまねをして行かなくなる」とよく聞くが、実際のところどうなんだろう。

 まねるんじゃないけど、自分も精一杯行っているのに、家族の中に行かない子がいると、「じゃあ俺も」っていうふうになるんじゃないかな。

 子どもの不登校が長引くと、親が(学校に行かないことに)寛大になるよね。休みやすい雰囲気になるんじゃないか。

 うちは弟が小1。中3の姉が休んでいるのを見て、「姉ちゃんだって休むのに」と言ったことがある。「下の子も不登校になるのかな」とビクビクしたりもする。

Jさん

 先日子どもの小学校で、「不登校親の会」が開かれた。去年からお願いしていたことなのだが、校長先生が替わったせいか、また一生懸命考えてくれる先生もいて、開くことができた。親の集まりやすい夜に開いてくれたこともありがたかった。「不登校の原因探しよりも、今学校に来ていない子どもに何ができるかを一緒に考えましょう」という先生の挨拶の後、本当にいろいろな質問や意見・要望が出された。約20名が参加し、いい話し合いができた。こんな親と教師の会が学校単位で開かれていったらいいなと思った。


Kさん

 一人っ子の小4男子。いじめもきっかけになり行かなくなって1年たった。自分(母親)は「学校に行かなくても、休ませたい」と思うが、夫は「行かせなければダメだ。2学期から絶対行かせろ」と言う。全く考えが食い違ってうまく行かない。NHKラジオの教育相談を録音して、夫に聞かせようとしても、面倒くさがって聞こうともしないし、講演会や本を紹介しても、関心を示してくれない。今はもうあきらめているし、働きかける気力もなくなった。
 子どもはよく「僕のこと好きか?」「僕のこと大事か?」としつこいくらい聞いてくる。その一方、わがままをぶつけ、願いがかなえられるまでしつこく言い続ける。先日も、「どこかへ行くか?」と安易にいってしまったら、1時間くらい「早く連れて行け」と言い続け、ついに親が根負けしてしまった。願いがかなわないと暴れたり、母親をたたいたりする。父親には絶対しないけど。

 Kさんのお子さんは、すごく不安なんじゃないかな。「お父さんとお母さんは仲がいいか」「学校に行かない自分は本当に愛されているか」、その不安が、わがままや暴れるという行為に表れるような気がする。スイミングに行かせたけど、「本当はすごくいやなのにいやと言えなかった」ことや、親の期待に応えられずスイミングも途中でやめてしまったこと、学校に行かなければならないのに行けないこと、いじめっ子に言い返せない自分、そんな自分を情けなく思っていたり、弱虫だと思っているんじゃないかな。それでも親は愛してくれるんだろうかという不安があって、それを確かめないと苦しいんじゃないだろうか。また親の関係を子どもはすごく敏感に察するし、その関係が不安定なときは、子どもも不安になる。

 お母さんが「今まで子どもの気持ちや思いを聞いてやることがなく、親の押しつけばかりだった」「できるならもう一度子育てをやり直したい」と思っているなら、そのことを正直に夫に伝え、今こそ夫婦で真剣に話し合うべきじゃないかな。夫にも子どもにも気を使う毎日では、お母さんがばててしまうよ。子育ては母親だけの仕事じゃないんだし、お父さんもお父さんなりに子どものことを心配している。そこを信頼して、あきらめずに話してみたらどうだろう。もしどうしてもうまくいかないなら、できることだったらいくらでも協力するから。

Lさん

 高2の去年、友達関係が原因で不登校になった。1年生の時はすごく元気に登校していたので、先生たちもびっくりしていた。詳しいことは話さないのでわからない。特別教室や保健室には入れるが、教室には入れない状態だった。去年の1学期は、食事はコーラとヨーグルトしか受けつけず、まともにとらないし、学校の話をすると泣くし、ふとんにもぐり込むしで、大変だった。親として本当に切なかった。学校へ行かない間、「学歴社会が悔しい」「何で勉強しなきゃいけないんだ」「何で高校行かなきゃいけないんだ」と言っていた時期もあった。でも、NHKラジオの教育相談を聞き続ける中で、「待つしかないし、家族で包み込もう。放っておけば必ず本人から動き出す」と言い聞かせ、待つことにした。
 結局1学期の期末テストは職員室で受けたが、1学期末に休学し、2月の進級相談会で、通信制に移ることを決意した。その一方、秋から食堂でアルバイトを始め、今はアルバイトと通信制を続けている。通信制の部活で全国大会に出場できることになり、8月始めに行ってくる。通信制のスクーリングなども、自分で計算しながら行っている感じだし、ずいぶん落ちついているので、もう学校のことは本人に任せている。 学校へ行かなくなったときや、本人が苦しんでいたとき、支えてくれたのは、中学時代の友達や高校の担任の先生、それにアルバイト先のおばちゃんたちだった。特に通信の入学式を行き渋ったとき、バイト先のおばちゃんたちが「そんなこというもんじゃないよ。行けるだけありがたいことなんだから」と親身になって励ましてくれ、ありがたかった。


Mさん

 18才男子。中1の1学期から行かなくなり、今家で引きこもり。中学卒業後、工場でバイトもしたが、人付き合いがうまくないということでやめさせられた。小学校の時から行きしぶることがあった。幼稚園の時、先生から「おたくのお子さんはみんなと同じことができませんね」「大きくなったら大変ですよ」と言われ、同じことを小学校でも言われ続けた。本人もみんなと同じことができないことが苦痛らしく、それが一番のきっかけかもしれない。
 今は昼夜逆転の生活だが、1年くらい前から自転車に乗ってゲームセンターやファミコンショップに出るようになった。

 今の子どもたちは、「みんなと同じ」という世界にどっぷり浸っているし、大人(教師も親も)はそれを求める。それができない子にとっては、本当に苦痛だし、居心地が悪い世界だと思う。

Nさん

  高2の男子。入学した当初は楽しそうだったが、2年になったら受験の話ばかりで「おもしろくない」と言うようになった。実際懇談会に行っても、先生の口から出るのは「何時間勉強してますか」というようなことばかり。修学旅行も行きたくないと言っている。


Oさん

 小6女子。登校しているが、親として小学校のあり方に疑問を感じることが多い。先日「体験発表会」があったが、1年生からきちんとしていてすごく違和感を感じた。よほどしつけられていなければできない。クラブも大会に勝つことが活動の中心目標になっていて、金管クラブでも「ほら、そこまがっているぞ!」という先生の怒鳴り声。懇談会では、先生が「名札を忘れさせないでください。親はしっかり子どものことを見てほしい」と言うし、親の中にも「服装が派手にならないよう指導してください」と学校に要望する人もいる。形から入ることを否定はしないが、形にこだわりすぎるのを感じる。


Pさん

 小5の時いじめで転校した長男は、中1になって疲れると言いながらも毎日楽しく通っている。妹の4年生は、グループ内のトラブルがあり、ときどき休んだりしている。先日個人面談で先生にそのことを伝えた。先生も知っており、「話し合いをさせます」と言ってくれたが、ちっともやってくれた気配がないので、先生への不満もたまっていたこともあり、電話で不満をぶつけ強く催促してしまった。そしたら先生がトラブルの中心になっていた子に「あなたのせいで悩んでいる子がいるよ」というような内容を指導したらしいが、翌日からその子が学校に来なくなった。何か、自分のせいだろうかと気が重い。

 いじめの問題解決で、子ども同士に話し合いをさせるというのはとても難しい。間に教師が入ればなおさら。自分が取り組む場合、とにかく双方の言い分を聞くことに徹する。教師の価値観から外れる言い分であっても、まずまるごと受け入れることに努める。それから、「先生は何ができるかな」「先生にしてほしいことあるかな」と本人に尋ねる。

Qさん

 中3男子。中2から学校(教師)への反発が一番大きな理由で行かなくなった。小学校の時から自分を表現することが苦手で、友達や先生とトラブルことが多かった。以前は親も、先生に言われることをそのまま受け入れ、本人を叱ったり注意したりしていたが、学校のことをほとんどはなさなくなる様子や、元気をなくし沈んでいく本人を見て、「味方にならなければ」と思うようになり、対応を変えた。そしたら少しずつ今までのことを話してくれるようになった。「俺が変わったのは、小5の先生のせいだ」「今でもその先生を絶対に許せない。町であったら殺してやりたい」と言うくらい、先生を憎んでいる。
 中学校の先生に対しても不信感は強い。先生方は学校の校則から外れた服装や格好をして登校する本人に、「何しに来た。迷惑だ」という感じで対応する。言葉はどうであっても本人は敏感にそれを感じとり、ますます反発し、家では悔し涙を流すこともある。なぜそういう格好をしないと登校できないかを、本人の気持ちに立ってもっと考えてほしい。本人は「学校には行かなければならないと思って勇気を出して行くのに、行くたびに傷ついて帰ってくる。学校に持っていっては行けない物を持っていったり、身につけてはいけないものを身につけていくことで、自分を勇気づけている感じがする。服装や持ち物で、「俺は違うんだぞ。俺はいじめられないぞ」と。
 親としては、学校に不信感を持つまでは、そういうきまりに反するような格好や態度はダメだと言ってきたし、そう思っていたが、今はそう思わない。学校に行って傷ついたり心を歪ませるようだったら、学校に行かないで穏やかでいてほしい。学校に行かないことで本人が罪悪感を持たないようにしたい。日本の学校で傷つくくらいなら、アメリカの学校でもやりたいという気もある。
 学校では「外れた子」「暴力的な子」と思われているが、家ではとても優しい子で、肩たたきや掃除を頼むと、「えーっ」と言いながらも必ずやってくれる。
 学校に行かない本人に、少しでも成長してほしいと、親としてはいろいろなことをしている。ビデオで感動した物を借りて見せたり、映画に連れていったり、本を紹介したり。先日「脳内革命」を紹介したら、その本を読んだらしく、生活態度が変わってきた。健康に関しての自己規制は特にすごく、夜9時になったら絶対食べないとか、どんなに反発しても身体に害をもたらすタバコはやらないと言い、それを守っている。

 今の子どもたちは、学校に勉強しに来ているんじゃなくて、管理されに来ている感じがする。高校で講師をしている自分も、とても勉強しに来たとは思えない様子でいる生徒に「何しに来たの?」と言いたくなる気持ちはよくわかる。なぜなら教師は管理しなければならないから。「具合が悪いから帰らせてください」という生徒に、「本当に病気なのか」「さぼりじゃないのか」「ちゃんと家に帰ったか」そういうことを確認しなければならない。教師はまず管理が頭にあるから、子どもがそんなに傷ついているとは思っていない。高校では、学校に来ても授業を受けようとせず遊んでいる子に対して、「何しに来たんだ」「帰りなさい」「遊ぶなら家で遊びなさい」「学校は勉強するところだ」ということは十分ある。

 でも、たとえ同じような言葉であっても、教師と子どもの間に信頼関係があれば、そんなには傷つかないんじゃないかな。

 その信頼関係を築くのがすごく困難。管理を仕事と思っている教師にとっては、子どもはあくまでも管理の対象だから、どんなに言葉に気をつけても、子どもを一つの枠にあてはめたり、あてはまらない子を排除しようとする気配を発してしまうし、子どもはそれを敏感に感じとる。相手が大人だったら、絶対言わないような言葉を、子ども相手だといってしまうというのは、やはり子どもを管理の対象としてみているからじゃないか。学校のルールから外れた子をまるごと受け入れ、一緒にしゃがみ込んで話ができる先生は、(管理の強い学校であれば)いないんじゃないか。

 確かにそうなんだけど、もう少しその時の子どもの気持ちを考えてほしい。外れているかもしれないけど、どうして受け入れてやれないのか。

 おとなしい不登校の子に対しては、学校は手厚く対応するが、学校(教師)に反抗的な不登校の子に対しては迷惑だという学校の体質を感じる。


つづきがあります
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