No.381997年6月

 初夏の風がさわやかな季節になりました。皆様元気にお過ごしでしょうか。
 5月、私の中学校では、遠足・家庭訪問・学級懇談会・生徒総会・演劇鑑賞など、4月に引き続いてたくさんの行事がありました。「行事の合間に授業をやっている」という状況は相変わらずです。しかし、遠足や演劇鑑賞などで子どもたちが学ぶことは計り知れないくらい大きなものがあります。また毎年私は、家庭訪問や学級懇談会で子どもたちの親と知り合い語り合うことで、はじめて学級担任としての責任の重さを実感でき、「この子たちのためにできるだけのことをしたい」という意欲と自覚もわいてきます。ですから子どもにとっても私にとっても、これらの行事は、欠くことのできない大事なものなのです。
  また、私の学校では、昨年の「学校」上映に続いて、今年もPTA主催で「学校U」の上映を7月5日に計画しています。この上映の成功のために親と教師・子どもが力を合わせ、そして感動を共有し合えたらどんなにすばらしいだろうと、今からワクワクしています。



先月の例会から

Aさん

 5月10日の横湯園子さんの講演会は、とてもよかった。特に「子どもは別人格なのだから、子どもが選択したことをそのまま受けとめて」という言葉がとても印象に残った。

Bさん

 講演会で不登校を体験した女の子が、「おばあちゃんがありのままの私を受け入れてくれたことが、何よりもうれしかった」という話にも感動した。わが家ではそれをしてくれているのは兄かな。自分はまだできず、精神安定剤を飲んでいる毎日。中2の娘が4月から登校していないが、「小学校の先生はよかったけど、中学校の先生はもういい」と、関わる気持ちを失ってしまっている。
 「中間テストの日程が決まりました」と学校から電話をもらうと、自分がたちまちパニックになってしまい、夜寝られなくなってしまう。そんな自分を受けとめてくれるのは夫だと感じる。以前は何もしてくれない夫を非難の目で見ていたが、「本人は義務教育の‘義務’がいやなんだから(それをわかってやろう)」と言う夫をすごいと思えるようになった。アーベルの会に参加したおかげだと思う。

Cさん

 中1男子。まだ学校の先生と本人は面識がない。学校に親が訪ねて行っても、いつも忙しそうで、訪ねていくのが申し訳ない感じ。「お話しさせてください」となかなか言えず、提出物を子どもに代わって出しに行くだけ。
 小6の修学旅行の当日、本人が「行く」と言うので、駅までタクシーで連れていったが、みんなの姿を見たらしゃがみこんで動けなくなり、結局帰ってきた。そのことが本人にとってはすごくショックだったようだ。

Dさん

 中学校時代不登校だったが、定時制高校に入学し休まず登校している。最近一人で職安に行って仕事を探してきてやり始めた。16才ができる仕事は2つしかなく、選んだ仕事もかなりきついのだが、中小企業で「みんなで何かを作っている」という雰囲気がいいのか、「バカ!」と怒鳴られながらも、「俺、絶対やめないからな。絶対仕事覚えてやる!」と続けている。「怒鳴られるとますますファイトがわく」というのが、学校に行っていなかった過去の本人からは考えられない。
 小4の妹も登校していない。家ではハムスターを飼ってルンルン過ごしている。「体育や給食が嫌い」というのはわかるのだが、行けない本当の原因は分からない。夫は、「行きたくなるまでゆっくりしろ」と、兄の時より早く本人に言えるようになったが、自分は、口では「休んでいい」と言いながら、「今なら行けるんだが」「行ってほしい」と思ってしまう。
 担任は、休みの日ハイキングなどに連れ出してくれたりするとてもいい先生。でもハイキングには喜んで行くが、学校の話はいっさいダメ。

Eさん

 小3から5年まで不登校だったが、6年生になって休みながらも行き始めている。担任と仲良くなろうと、アーベルの風を渡したり、いろいろ話すようにしている。先日漢字テストで40点をとった。本人はがんばってうれしかったのだが、担任が「もう1〜2問やればもう少しできたのに」と本人に言ったらしく、本人はそれにカチンときて先生と口げんかをしたらしい。しかし歓送迎会で、その時のことを先生が「僕も言い過ぎたんですよ」と言ってくれた。
 その先生、いい先生だね。正直で開き直らない先生って、すごくいいと思う。
 今も行ったり行かなかったりだが、行くときは「僕、明日は行く」と言うから、「それはお母さんが行ってほしいと思っているから言うの?」と聞くと、「ううん違う」と言うが本心はどうなのか分からない。自分の気持ちは子どもに伝わっていると思うが、横湯さんも「カウンセリングをやっている自分でも、自分の思いを相手に伝えるのは難しい」とおっしゃっていたし。

Fさん

 私はお店で食品を販売しているが、先日中年女性の万引きを見つけた。店外に出たところを追いかけ、腕を取って「なぜこういうことをするんですか」と問いつめた。しかしその女性も必死に私の腕を振り払い、また走り出して逃げだした。追いかけたが、結局見失ってしまった。しかし、そんなふうに必死になって万引きを捕まえようとした自分の正義感に気づいてうれしくなった。子どもが登校拒否し、一人で悩んでいた頃は心に余裕がなく、この会に参加するまでは、「なるようにしかならない」と投げやりな気持ちだった。だけどこの会に参加し、みんなの話を聞いているうちに心が落ち着いてきた。そうしたら、万引きを見つけたときも、「正義の心」が強くわいてきて、夢中になって追いかけることができた。後から職場の人たちに話したら、「今の世の中は何が起きるかわからない怖い時代なのに、Fさんは勇気があるね」と言われた。自分でも、今思うと怖いことだけれど、自分の中に正義の心がわいてきたことがうれしかった。

 (このお話を聞いた熊谷先生が、後日感想をくれました。ご紹介します)
 このお話のFさんの正義の心は何でしょう。アーベルの会は、いってみれば一つの自助組織です。登校拒否している子どもを抱える親たちが、同じ悩みを共有することで、“癒し”の作業を行っているところです。
 それでは、心が癒されるとは具体的にどんなことなのでしょうか。
「自分の子育てが間違っていたのだろうか」「自分の子どもは病気なのだろうか」などと一人で悩んでいたところから、多くの同じ悩みを持つ仲間と話し合う中で、「子育てが間違っていたわけではないんだ」「(今登校拒否している)これがこの子の自己主張なんだ」「子どもは自ら動き出す時が必ずくる」と思えるようになって、目の前の子どもを丸ごと自然に受け入れられるようになったとき、多くの親は心が癒されるのだと思います。客観的に見ると、その癒しの過程は親自身の自己肯定感の確立の過程といえるでしょう。私たちは登校拒否を論ずる場合、子どもたちに「あなたは今のあなたのままでいいんだよ」と語りかけます。つまり自己受容の心の大切さを話すのです。ところが、実はその過程で子どもに関わっている親に対しても、「あなたの子育てが間違っていたのではない」「あなたは親として最高のことをしてきた」と励ましています。この励ましが親自身の「自分は自分のままでよかったんだ」という自己受容を、仲間の支えの中で確認し合っていることになるのでしょう。
 仲間の中でこそ、親自身の自己肯定感が大きく認められるから、畢竟それは仲間に対する大きな信頼となって表れます。ここで生まれる仲間に対する大きな信頼こそが正義を愛する心を豊かに育てる源になるのだと思います。

Gさん

 いつも不登校の講演や学習会は自分だけで行っていたが、今回は「長岡へデートしようよ」と夫を誘って横湯さんの後援会に行ってきた。講演の途中夫は居眠りをしていて、「もうこの人は!」と思ったが、大事なところは聞いてくれていたから、「まあいいか」。横湯先生は普段自分が思っていることを話してくれた。「豊かにこもる」というのは、「本人がじっくり自分のことを考えられる時間を保障すること」ということがよくわかった。
 先日家族でタイへ旅行してきたが、家族にとっても子どもにとってもいい経験になった。中1の子は、手続きから何から一人前に扱われたことに責任と自覚を感じたようだし、何もわからない家族をリードして現地でのコミュニケーションや手はずを進める夫に、あらためて感謝し、「大事にしなくっちゃ」という優しい気持ちになった。子どもたちも「親父ってすごいな」と感動していた。
 バンコクでは、その活気のすごさに圧倒されながらも、歩道で若い母親が子どもを抱いて寝ている様子や、3才の子が夜でもカップを持って物乞いをしている姿がすごく印象的だった。そういう世界を見て、子どもたちも子どもなりに疑問を感じたようで、学校の机で学ぶよりも多くのことを学んできたようだ。

Hさん

 2度目の受験で定時制高校に入学したものの、ずっと行かなかった本人が、今日突然行ったようだ。家にカバンがないし、夕方になっても帰ってこないから、「もしかして行ったんじゃないか」と学校に電話したら、「来てますよ。普通にしてます」と言われた。入学後2週間くらい、「明日行く」とか「来週行く」とか言い、それを聞くと自分がドキドキイライラしてくるから、「1年かけて考えてもいいから、もう言うな!」と本人に言っていたのに、行くようになったらどうしたらいいんだろう。
 なんか、Hさんの話いいね。これから本人はどうするかわからないけど、今本人が学校へ行き始めたのは、「みんなと同じようにしなければ」という気持ちでの登校とは全く違うものだと思う。それに、Hさん自身、子どもが学校に行こうが行くまいがどうってことないという気持ちでいるから、いつもこういう話を笑いながら話せるんだと思う。聞いていていつも楽しく温かい気持ちになるよ。

Iさん

 小2の二男が「悪い子」を振る舞い、母親を挑発してくる。挑発に乗らないようにしているが、オロオロしてしまう。3人の子がいろいろ言ってくると、親としてもどっちについたらいいかわからず、結局どっちつかずになることが多く、それが悪かったのだろうか。先週1週間は全く登校しなかったが、放課後になると学校へ遊びに行っている。
 いろいろ本を読んだり、アドバイスを受けると、知識だけいっぱいになって頭でっかちになってしまい、自分の対応を自分で責めたり、夫や義母に「どうしてわかってくれないのか」と、自分(母親)自身すごく不安定になって、ストレスがたまる。そのストレスを吐き出す場がないから、子どもにあたってしまうことも多くなり、「お母さん、さっきまで優しかったのに、急に怖くなった」と言われることもある。
 登校拒否について、本や講演会などで母親が賢くなりすぎて、言葉が先に立ちすぎることってあると思う。母親は先生になってはいけない。どんなとき、どんな言葉をかけたらいいか(あるいはかけてはいけないか)は、もっと自分の第六感を信じていいんじゃないかな。小さいときから子どもと接している母親だから、その第六感は生まれるし、わかるんじゃないだろうか。
 Iさんの話に関連して、学校の先生の力をもっと借りたいが、先生とうまく協力していくにはどうしたらいいのだろうか。今の先生方にはゆとりがないのか、Iさんの話をしても、担任からていねい 先生のところへ行く時って、どうしても遠慮してしまうよね。うちの子どもの学校の教務室の雰囲気もよくないし。
 アーベルの会に新採用2年目の担任を誘ったが、来てくれなかった。学校の先生方は不登校をどうとらえているのか、聞きたいね。
 本音は聞けないんじゃないかな。学校の対応を見ると、先生方には、「不登校の親はこういうもの」というあるイメージがあるのでは。自分は「私はこの子にこう接したいと思っているんです」ということを先生に伝えようと思っている。「先生の言動をこんなふうに子どもは受けとめている」と、先生に子どもの声をそのまま伝えたら、「それはこういう意味だったんです」と一生懸命言い訳をする。後で友達に「そういう言葉は先生を責めているように聞こえたんじゃない?」と言われた。
 35年間勤めたベテランの先生が、「今ほど教師としての自分に悩んでいる時期はない。不登校の子に、‘休んでいいよ’と言えない。本当にその言葉を言っていいのだだろうか」と話していた。先生自身迷いの中にいることを感じた。
 だけどそれは親も一緒だよね。
 学校へ行って担任と1対1で話すときはそうでもないけど、その話し合いに校長や学年主任が入ると、担任の本心が全く聞けなくなる。
 若い先生は年上の先生や管理職がいると、言いにくく感じるのはわかる。だけど、「言いにくいが、言える」のと、「言いにくいし、言えない」では全然違う。それは職場の民主主義の浸透具合のバロメーターじゃないかな。確かに経験年齢や給料は違うけど、教師って、若い人もベテランも、子どもを相手にしているという点では同じだし、足りないところを補い合い、力を合わせていくのが仕事なのだから、職場の中でもっと自由に話し合える雰囲気があるといいと思うんだけど。

Jさん

 3年生の6月から行かなくなった小4男子。いじめられた体験があり、おとなしいから「いや」と言えないことがよくあったようだ。家では、ミニ四駆やレゴ・ファミコンの毎日。手伝いでは食器洗いをしてくれる。「自分のことが大事か?」「かわいいか?」「好きか?」と毎日のように聞かれる。低学年の時にあったいじめについて学校は、「(いじめたと言われた子たちは)みんないい子になりましたから、大丈夫ですよ」と言うが、本人はそうは思えないでいるようだ。休み始めた頃は具体的に何がいやかほとんど話さなかったが、最近、「階段がいやだった」「体育並びがいやだった」など、いやだったことを話すようになった。階段は、降りるときつかまるところがなくて怖かったからだし、体育並びは、いつも後ろから「早く早く」とせかされるのがいやだったらしい。だけど、いじめられたことや本人がいやがることを先生に話しても、なかなか本人の心の痛みをわかってもらえない。言っても、「お母さんの被害者意識が強すぎる」と言われるから、言う気がなくなってくる。
 一般的に「原因探しはしない」と言われるが、小学校低学年の場合、行かなくなったのは単純な原因であることも多く、しっかり聞いてあげて、ていねいに解決(手助け)をするとすんなりと復帰することもよくある。だけど、本人の気持ちをしっかり聞くというのは、簡単なようで難しい。そもそも低学年の子はまだ表現が未熟だし、言葉に出てくるのは子どもの思いの氷山の一角であることを理解すべきじゃないかな。子どもが「不安や心配」を口にしても、大人から見れば大した原因とは思えず、すぐ「心配のしすぎだよ」「そんなことくらい、どうってことないじゃないか」と言ってしまうが、それは訴えてきた言葉の意味を考えていない対応だと思う。子どもの目線に立って、まず子どもの不安な気持ちを受け入れ、しっかり共感してほしい。だから、先生が「みんないい子になりましたから大丈夫ですよ」とすぐ言うのは、ちょっとおかしいと思う。

Kさん

 息子が進学高校に入学して行かなくなってからまもなく1年になる(現在休学中)。自転車に乗ってよく町へ行くのだが、最近「自転車に乗っていると、さわやかな風や花の香りを感じて、春だなぁとしみじみ思う。俺、すっげえ幸せだ」と言う子を見て、「これでいいんだな」と思うようになった。しかし担任は、地球環境汚染などを深刻に考えている本人の様子に異常さを感じとっているようで、「現実からどんどん離れている感じがする。一度専門機関から見てもらった方がいいのでは?」と言われ、それが親としてすごく不安。「紙一重」というようなニュアンスで言われたから。その担任は、「学校に戻せないのは親の責任ですよ。学校に行かなければ子どもがダメになりますよ」というようなことも言う。それを聞いた父親は、「学校へ行かないといきるのは難しくなるかもしれないが、ダメってことは絶対ない」と憤慨していた。
 多くの教師が、学歴社会の中で生きてきて、そんな人生しかイメージできない。学歴によるものとは全く違う「豊かな人生」がわからないから、「進学校から落ちこぼれる=人生の落ちこぼれ」としか見れない。特に最近は大学進学率の向上という県の方針のもとで、進学校の教師は特にそういう傾向が強まっている。
 うちの子も、進学校に入学して、病気で3日休んだら、英語の教師に「3日も休んだのか。おまえ、もうダメだな」と言われ、本人は「本当に俺はもうダメなのか」という不安から微熱が続き、行けなくなった。それだけが理由ではないが、そのことを親に話してくれたのは、休学してから半年後だった。
 将来のことばかりを気にして、今を豊かに生きられないのを感じるね。春のすてきさを感じられるK君の豊かな感受性や、それを感じられるようになった心のゆとりを喜びたいね。ひと休みすることによって取り戻した感情かもしれない。それに、生き方が後ろ向きだったら、‘春のすてきさ’なんてけっして感じとれないもの。前向きの生き方をしている証拠のような気がする。
 退職した教員がきまって言うのが、「春がこんなにいいものだとはじめてわかった」というセリフ。現職の時は、生活科などで子どもたちに「春を探しに行こう」と語りながら、自分自身、春を感じたり楽しむゆとりがなかったように思う。

Lさん

 3人兄妹の長男で、高2の修学旅行以降登校拒否。現在留年してもう一度2年をやっている。授業には出ず、毎日図書館と保健室で過ごしている。小さい頃から自分の主張はあるものの、集団にとけ込めなかった。高校進学を期に、「友達づくりをしたい」と中学までの自分を変えようと心機一転がんばっていたが、「やっぱり俺はダメだった」と元気をなくしてしまった。「1対1の時はいいけど、3人以上になると俺は都合よく扱われて、仲間として認められないんだ」と言っている。
 今まで本人の気持ちは分かっていたつもりだったけど、本当はわかっていなかったんだということを思い知らされた。先日「俺は前から変人と言われ、同級生たちに変人扱いされてきた。いつも俺のことをこそこそと話し笑っている。あんな奴等は抹殺してしまえばいい。社会のなんの役にもたっていないあんな奴等は殺してしまえばいいんだ。俺は今まで誰にも暴言を吐いたり、傷つけたことはなかった。間違ったことはしていない。なのになぜ奴等がのうのうと社会で生きていて、俺がこんなに苦しまなければならないんだ!」と、自分の思いを吐き出した。この話を聞いたとき、本人の苦しみを親はちっともわかっていなかったなと思った。また、「どうしてやりたくもない勉強をしなければならないんだ。好きなことだけ勉強すればいいじゃないか」と、今は語学をテレビなどを利用して独学で勉強したり、「マラソン大会なんかは順位を出すんだから、テストの順位だって発表してもいいじゃないか」と言う本人に、どう話したらいいのかわからない。今は授業に出ていないことより、だんだん心がすさんでいくようで、そのことが一番心配。
 祖父母と同居しているが、祖父母は「行くのが当たり前なのに、我慢が足りない。怠けているだけだ」という目で本人を見ている。夫はほとんど不在。仕事が忙しいのも確かだが、家庭のトラブルから逃げているのを感じる。なんとか夫の気持ちを聞き出したいが、自分が意見を求めるときまって何も言わなくなる。そんな夫に怒りさえ感じる。
 息子さんは冷静に家族を見ているね。なんとかご主人に変わってほしいけど。ご主人は「何とかしたい」と思っているんだろうけど、どうしたらいいかわからないんじゃないかな。
 私たちの会(三条かたつむりの会)でも、子どものトラブルで母親はすぐ子どもの目線に立てるけど、父親は世間体がどうしてもじゃまをして、「ゆっくり父親になる」というケースが多いよ。母親がドロドロしている時、父親も同じようにドロドロになったらダメ。もっと時間をかけてみてはどうかな。お父さんも大変だと思うよ。
 男だって追いつめられるとつらい。温かい言葉をかけてもらえるとうれしい。1回くらいご主人にぐーっと優しい言葉をかけてみてはどうかな。ダメでもともとと思って。(父親)
 中学時代、「いい子ぶるな」と言われ、悩んで両親に相談したことがある。話をていねいに聞いてくれ、自分をかばってくれたことがとてもうれしかったことを覚えている。(大学生)

Mさん

 小4の孫(女の子)が、転校をきっかけに学校に行かなくなった。3年生まではすごく元気で活発に過ごし、全く休まずに登校していただけに、どうしてなのかわからない。転校先のクラスを「あそこはコギャルばかりだ」と批判。最初は車で送ったりして、無理して行かせていたが、いやがる様子を見て、教育委員会にお願いし、5月から元の学校に戻してもらった。しかし、「習ってしまったこととまだ習っていないことがあって、勉強がわからない」と相変わらずみんなと同じような登校はしていない。今は5時間目だけ行ったり、放課後の部活動だけ参加している。
 今本人よりも母親がまいってしまって、「死にたい」と言ったりするので心配。自分の子育てを責めているので、「開き直れ」と自分(祖母)は言うんだけど、そうは思えないようだ。大学の先生に相談したら、「今まであなたの都合で子どもを振り回してきたんだから、今度は子どもに振り回されなさい」と言われたらしい。自分から見て、(母親は)がんばりすぎている。ほどほどにすればいいのに。
 塾をやっていて感じることなんだけど、最近勉強嫌いの子がすごく増えた。教科書が変わるたびに増えていく感じがする。いろいろなアンケートを見ると、80%の子が「学校は楽しい」と答えているけど、そのほとんどは友達と過ごす休み時間が楽しいというもので、授業が楽しいというのは7%くらいしかいない。
 今の学習指導要領は、本当に子どもの発達段階や理解する力を無視した、ひどいものになっている。かなりの生徒が理解していないのを感じながらも、先へ先へと進まなければ終わらない量の多さも問題。
 うちの子は、3年4年と学年が進むにつれて、トイレ休憩の時間が短くなったって言ってるよ。
 なんでもがんばる子って、「何かができない自分」が許せないんだよね。自分もそういうタイプだった。二十歳を過ぎてからできない自分も許せるようになった気がする。

Nさん

 小6男子。5年の頃から、人前で発表することのある日になると休みはじめた。5年生のクラスは荒れていて、いじめも頻繁にあり、なんとか担任をたてながらうまくやろうとしてきたが、結局うまくいかず、激しい担任不信だけが残った。5年の2月はじめから休みはじめ、4月に転校したが、現在も行っていない。転校で心機一転がんばってくれるのではという期待もあったせいか、行かない現実を前に落ち込んでいる。しかし今の担任は、子どものことをよく考えてくれ、小さなことをプラスに受けとめ励ましてくれる。
 今困っているのは、中1の兄との関係。兄はとても弟思いで心配してくれるが、その兄も昨日「今日は行きたくない」と休んだ。以前なら、「そんなの大丈夫。行けるよ」と明るく言えたのだが、今言えない。「弟のことがあるから行けとは言えないけど、やっぱり行ってほしいな」と言うと、「大丈夫、お母さんが心配しているようなことはないから」と答える。兄が休んだ日や、放課後・土日は、弟も機嫌がいい。学校に行かないということ以外は、元気もいいし明るいし、変わったところは全然ないのだが。
 昨日部屋に入ったら、机に向かってマンガを描いていた。ちょっとがっかりしたが、今までは机の上は道具置き場だったことを考えると、「変化かな?」とちょっとうれしくなった。
 休んで4ヶ月になるが、「学校行かなくていい」と言えれば気が楽になるというし、その通りだと思うけど、言えない。勉強もそうだけど、人間関係を学ぶ場として学校は必要だと思う。そんな自分の気持ちを子どもは見抜いていて、「お母さんは言っていることが日によって違う。‘学校に行こうよ’と言う時と、‘無理して行かなくてもいいよ’と言う時がある」と言われた。
 先日学級懇談会で、お母さん方に思いきって子どものことを話してみた。思っていたより好意的に受けとめ、心配してくれ、うれしく元気になった。行く前は気が進まずドキドキ緊張していた。そんな自分を見て、学校に行きたがらないわが子の気持ちが何となく分かった気がした。学級懇談会から帰ってきて子どもにその話をして、「でも勇気を出して行ったら、安心できたよ。あなたもがんばってちょっと勇気を出していってみたら?」と言ってみたが、反応はあまりなかった。
 先のことを考えるとすごく心配だし不安。「自分が親なんだからなんとかしなきゃ」と、まわりに「がんばりすぎるくらいがんばっている」と言われるくらいやってしまう。夫も仕事が忙しく、新しい職場で苦労しているから、自分は陰で涙しながら、から元気を出している毎日。
 まわりの人たちに対して隠したい気持ちは分かるけど、言ってみると意外に心配してくれ、好意的に考えてくれるみたいだよね。自分も職場で思いきって話してみたら、温かい反応が返ってきて、「人間っていいな」と思えた。自分だけ苦しまないで。
 うち(中2)のクラスの担任は、学校に行けない気持ちを書いた本人の作文をクラスで読み、「クラスとして何ができるか」考える時間を作ってくれた。そのことをある子が、「今のクラス(担任)はいいよ。前のクラスの時も学校に来ない子はいたけど、クラスで考えることはなかった。でも今の先生は、‘みんなで考えよう’と言っている。このクラスのために自分は何ができるか考えたい」と母親に話したそうだ。
 年齢にもよるけど、学級の子どもたちには、へたにごまかすと、変な噂や「怠けている」と非難する声が必ず出てくる。むしろ率直に話して、子どもたちから相談に乗ってもらったり、一緒に考えようと呼びかける方がいい場合も多いと思う。だけどその際、本人の気持ちや状況をよく考えて、それが本人にとっていっそうのプレッシャーにならないような配慮をしなければならないね。

Oさん

 中2男子。1年の2学期半ばから不登校。新年度始業式と翌日の2日行ったっきり行かなくなったが、先日の遠足前日と当日参加。担任は「とても自然でした」と教えてくれた。「2日行けた」だけでよしと思うようにしようと自分に言い聞かせるのだが、やはり期待してしまうのか、行かない姿を見るとイライラして、子どもにゆったりと接することができない。先日、ずっと我慢していたことが爆発した感じで、夫が激しく本人を責めた。「高校行きたいという気持ちが本当にあるのか! 行きたいならそのためにおまえは何か努力しているのか! 努力をしない人間は存在価値がない!」とまで言った。その言葉を聞いて、夫の気持ちは根っこのところで変わっていないなと思った。しかし、仕事で遅く帰り疲れていても、子どものために4時に起きて一緒に釣りに行く夫の気持ちを考えると、責めることはできない。

Oさんのご主人

 自分としては、子どもにそう言うことで、「なにくそ! 今にみていろ!」というような反発心を期待するような気もあって、あえてひどいことを言った部分もある。本人の様子を見ると、その時は確かにそういう気(よし!がんばるぞ!)になるのかもしれないが、翌日になると元に戻ってしまうようだ。男と女の感じ方が違うのかもしれないけど、自分としては「中2でこんな状態で、将来どうなるのかな」という不安が拭いきれない。本人は、「高校へは行きたい」と言っており、高校へ行きたいなら勉強しなければならないはずなのに、その努力をしていない。なぜなんだと思ってしまう。
 うちの夫は、学校に行かない子どものことを心配しているのはわかるが、子どもに直接関わってくれない。いつも間接。うちも中2の男の子だから、父親の出番だと思って、人生観や自分の生き様を語ってほしいのだが、ちっとも語ってくれない。「なんにも言わないお父さん」を子どもはどう見ているんだろう。「おまえを信じているぞ」だけでもいいから、子どもに語りかけてほしい。
 男の生き様を伝えてほしいと言うけど、自信を持って伝えられる父親がどれだけいるだろうか。それに、一つの価値観を絶対視して、それを子どもに押しつけるのはどうだろう。
 父親に限らず、時には親の思いをぶつけてもいいんじゃないか。人間、そんなにいつも冷静じゃいられないよ。
 男の生き様といわれるのが気になる。むしろ人間としての生き様じゃないかな。
 親の気持ちは分かるんだけど、子どもの気持ちが聞きたいね。年齢が近い大学生はどうかな。
 自分の父はほとんど子どもと話さない人だったけど、1日1回、「どうだ、やってるか」と声をかけてくれるだけで、見守られている感じで安心できた。それと、父親が働いている場面を見ることがあったんだけど、それ以来父親像が変わったことを覚えている。
 口うるさい父親、黙って見守る父親、どんな父親がいいとは言えないんじゃないかな。子どもは親を選べないんだし、子どもにとっての父親や母親というのは、あくまでも自分の親のイメージしか持てない。どんなタイプの親であれ、「おまえのことが大事だし、愛している」というメッセージが届けばOKじゃないかな。
 親の説教が、意外と子どもには理解できていないことも多いよ。大人の言葉は子どもにとっては抽象的で、よくわからないことがある。子どもの目線に立って語るようにした方がいい。

Pさん

 中2女子。1年の中間テストで先生が、「今からいい点をとらないといい高校へ行けないぞ」と言ったことに反発。だけど英語や数学の遅れが心配。本人も気にして、塾を探すなどいろいろ動いたが、結局塾にも行けないでいる。横湯さんの講演会の時、不登校体験者が、「やる気になったとき、どれだけ吸収できるか」を語っていたが、学力のある子はやる気を出したらぐんぐん伸びると思うけど、うちの子はどうだろうと不安。でもある時、「普通に生きていけたらいいな」と思ったら、気が楽になった。

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