わが4組男子19名のペンションは『メイフラワー』。スキンヘッドの怖そうなオーナーのペンションです。(『メイフラワー』はペンション村のまとめ役だそうで、いつも学校の中で一番元気のいい男子クラスを担当することになっているそうです) 最初のあいさつの時、オーナーの容貌にビビッていた男子ですが、私が、夜の体験学習の様子を見学に行ったら、どの子の表情も輝いていてびっくりしました。オーナーの指導の下でドライフラワーを使った壁飾りを作っていたのですが、「おっちゃん、これどうするの?」「おっちゃん、失敗しちゃった!」と元気のいい声や笑い声が飛び交い、本当に生き生きとしていました。やってはいけないことをしたときは烈火のように怒るけど、ちょっとやそっとの失敗やいたずらは全く気にせず、すごい包容力で丸ごと子どもたちを受け入れてくれるオーナーの人柄を、わずか数時間のつきあいで見抜く子どもたちの感性もすごいけど、何といってもいたずら集団の4組男子の心をあっという間につかみ、のせてしまうオーナーの力に、心から敬服しました。子どもたちは、その太っ腹のオーナーの下、その夜は遅くまで遊んだり話したり・・・・・・、忘れられない夜を過ごしたようです。
感想文には、「ディズニーランドよりペンションの夜の方がずっと楽しかった」「おっちゃんに会いたい」「怖そうだったけど、とんでもない、すごくいい人だった」という内容がいっぱいありました。
子どもたちを信頼して、「失敗しても大丈夫、ちゃんと受けとめてあげるから」というメッセージを送って任せれば、子どもたちはそれに応え、驚くほどしっかりと自分たちをコントロールしながら過ごすことができる。そのことをオーナーは私に教えてくれました。また、その一方で、子どもたちの周りには、オーナーのような、「厳しいときはすごく厳しいけど、子どもたちを寛容と大きな包容力で受けとめる大人」が少なくなっていることも感じさせられる出来事でした。
女子も、「ペンションはすごくよかった。きれいで、オーナーは優しくて、あんなにいいところだとは思わなかった」や、「あの狭い部屋に大勢が集まって、1時をまわるまで騒いだ。一時解散しても、興奮して眠れませんでした。私は本当にうれしかった。ずっとドキドキしていました。喉が痛くなったけど夢中でしゃべった。すごく気分が良くて、もっともっと仲良くなりたいって思ったのでした」という感想に代表されるように、ペンションでの一夜が忘れられないすばらしい思い出になったようです。きまりでは10時半消灯になっていたのですが、男女とも全く守りませんでした。でも、私は子どもたちに、「最高の思い出ができたね。よかったね」と伝えました。
登校拒否・不登校を真正面から取り上げた映画、『あかね色の空を見たよ』が完成しました! 去年の「全国のつどい」(東京)に参加したとき制作が伝えられ、完成が待たれていた作品です。
私たちアーベルの会事務局では、「この映画を新潟県内のいろいろなところで上映しよう」と相談しました。上映運動を通じて、「不登校のことを知ってもらおう」「こういう会を知らず、一人で悩んでいる人に呼びかけて、仲間の輪を広げよう」と考えました。
映画の内容は、同封のチラシをご覧くださればわかりますので、ここでは触れませんが、アーベルの会のみなさんには、ぜひぜひ見ていただきたいですし、ご自分がご覧になるだけでなく、ご家族や知人、友人、また不登校で悩んでいる人たちに広めていただきたいのです。
県内での上映運動の皮切りとして、6月9日(金)午後6時30分より、ユニゾンプラザにおいて第1回上映会を行います(上映は7時から)。期日が迫っており、急な案内になって申し訳ありませんが、一人でも多くの方から参加していただきたくお願いします。(第2回実行委員会は6月1日(月)午後7時より市教組で開きます) チケットやチラシ(コピーではなくカラーのもの)は、西が持っています。電話かファックスでご連絡くだされば、郵送できる場合は郵送でお送りしますし、当日会場でもお渡しできます。新潟市在住の会員のみなさん、また、県内各地の「親の会」や「親と教師の会」の代表のみなさん、どうぞ周りの方にも勧めて、ぜひいらしてください。(当日は会場で原作本の販売も行います)
詳しいお問い合わせは、西、または熊谷さんまで。
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Aさん 2年の時、産休・育休やその他の事情で、担任が3人も代わった。一番最後の担任の時、具合が悪くて教室で吐いてしまい、そのことを担任に厳しく叱責されたことが、学校に行かなくなる直接のきっかけとなった。学校に行かなくなった当初、親は「どうしょうば(どうしたらいいんだろう)」と戸惑い、次に無理やり引っ張って学校へ行かせようとし、やがて「何とか行ってくれ」と懇願するような気持ちへと変化していったが、親が何とかしようとしても結局どうにもならなかった。 3年の時の担任は、とても一生懸命考えてくれ、時々柔らかな登校刺激をしたが、行かなかった。4年の時の担任は若い先生だった。家庭訪問をしても用を伝えるだけで家には上がらすすぐ帰る人で、「校長先生に言われたからしかたなく来ている」という感じの担任だった。その4年生の12月頃、学年主任が家庭訪問し、「給食を食べにおいでよ」と誘ってくれたのだが、仲良しだった年上の同じような不登校の子とその誘いに乗り、時々給食を食べるために登校するようになり、3学期は少しだが授業にも出るようになった。 5年の時、その学年主任が担任になってくれ、春から、休みがちではあるが行くようになった。結局年間50日くらい休んだが、6年になった今、一日も休まず通っていてびっくりしている。 4年の時、訪問相談員が月に1回訪問してくれ、本人と遊んだり、ちょっと勉強したりした。本人は嫌がらず受け入れていたが、「もう大丈夫」ということで5年の12月頃を最後に、来なくなった。しかし、今春久しぶりに来てくれて本人の様子を知り「うれしいよ」と心から喜んでくれた。 今から振り返ってみると、何がよかったのかはわからないが、確かなことは、子どもが不登校になったばかりの時は特に、親がどうだこうだと言ってもダメだということ。親は「まあ、いいや」と思うようになったら、すごく楽になった。今の担任は、親身になり方が全然違う。同じ言葉を発するのでも、4年の時の担任と今の担任では、伝わり方が全く違う感じ。そのことを子どもも敏感に感じとっている。
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Aさん親よりも、同居している祖父母の期待が大きい。親も祖父母に責められている感じがした。学校に行き始めた息子に、祖父母は今度は勉強のことで本人にプレッシャーをかけている感じ。でも、勉強にしても何にしても、本人がやる気になればやるだろうから、別に心配していないし、あまり欲はないよ。 |
Bさんずっと閉じこもりが続いていた18歳男子。先月の例会で話した津川へ電車で出かける計画は、結局ダメになった。その日が近づくにつれ、食事をしなくなり口数も減って、かなり不安に思っていることを感じた。予定がダメになった数日後の夜の散歩で、「お母さん、疲れた」とつぶやく。「疲れているのはこっちの方だよ」と言いたくなるのをこらえて黙っていた。その数日後、自分(母親)の方から、「○○、疲れているんじゃない?」と声をかけたら、わざと明るい声で「全然疲れてないよ」と答えるのをみて、親に一生懸命気を使っているのを感じた。今日も帰ったら、短パン半袖姿で、風呂を磨いていた。 最近うれしいことは、家の近くの地図を買ってやったら、今まで夜の散歩だったのが早朝(4時半頃)の散歩に変わったこと。6時半ぐらいまで散歩してきて、一緒に朝食を食べるのだが、明るいときに外に出るなんて、ここ数年間考えられなかっただけに、すごくうれしい。それに、浮き沈みはあるが、最近はすごく声がいい。自分が仕事から帰ってくると、大きな明るい声で「お帰りなさい」「お疲れさま」なんて言ってくれる。親が疲れているのを心配してくれる。親が倒れたら自分はどうなるかという不安があるからかもしれないけど。 定時制の高校を1年で辞めてからずっと本人がお金を使うことなどなく、親もそれになれて小遣いもやらなかったが、先日久しぶりに小遣いをやった。そうしたら、「お母さん、この小遣いで、自動販売機のジュース、買ってもいいかな?」と。お金を使うようになったこともうれしい。まだコンビニでの買い物はできないようだけど。 それにしても、子どもが学校に行かなくなり、やがて閉じこもり、今日のようになるまで、いろんなところにすがる気持ちで行った。宗教にも誘われた。自分に信仰心がなかったから断ったが、そのためにひどいことを言われたりもした。でも、1年前と比べると、すごい変化で、それを考えると本当にうれしい。まだ先のことを考えると不安だが。 |
親が楽にならないとダメだよね。先のことを考えたら心配だけど、「親が生きている間は食わせてやる」くらいの気持ちにならないと親も楽になれないよね。
これからどうしようかと考えなくても、今○○君は一生懸命自分の人生を自分でつくっていこうとしているから、お母さんはその時その時の気持ちで、素直な気持ちで○○君とつきあえばいいんじゃないかな。
Cさん17歳になった娘。小3から学校に全く行かなくなり、今はコンビニでアルバイトをしている。最近その娘が、「私は九九が覚えられなかった。頭が悪い。だから行けなかったんだ」と親に話した。そんな娘だが、生きる力はついていると思うので、ちっとも心配していない。心配なのは中2の息子。学校には行っているが、管理的な学校での集団生活で、かなりストレスをためており、息苦しくなっている感じ。うちは正直言ってずっと放任と甘やかしと過保護で育ててきたようなもので、最近の17歳の様々な事件を見ると、「うちの子も?」という不安に襲われる。 |
Dさん高1女子。小6から不登校。中学に入学するとき引っ越して新しい中学に入学したが、2カ月で再び行かなくなった。中2の夏休みから、東京の実家から東京シューレに通う。シューレに行っている間に、「学校ってどういうところなんだろう」と考えはじめ、今春敬和学園に入学した。敬和の親子面接で、本人が「自分はうそつきだ。ずっといい子を演じていた」と語るのを聞いて、どうして不登校だったか、親は初めてわかった。また、こんなに自分のことを語れるのかとびっくりし感動して、涙が出そうだった。 小6のとき不登校になったのは、学級崩壊状態で、「学校って何なの?」「勉強するってどういうことなの?」「何で学校へ行かなければならないの?」と、休み始めたばかりのとき、よく言っていた。でも、今考えると、その時はそういう疑問に納得のいく答えを話したとしても、また本人もわかったとしても、同じ結果だったように思う。本人の言いたいのはもっと別のことだったんじゃないか。とにかく疲れていた。疲れがとれなければ、何も受け入れられなかったんじゃないかなって思う。そして、当時は学校に行けない自分を責めていたし、親もそう思っているところがあった。 シューレでは、いろんな大人に出会えたことがよかった。同世代の子どもたちにはいろんな人がいたが、必ずしも本人にとっていい友達だったとは限らない。ずいぶんいいかげんな子も多かった。むしろ、本人はボーっと過ごしていることが多かったようだ。 |
Eさん今は2児の母親だが、自分自身子どもの頃「学校が嫌だ」という気持ちをずっと持っていた。学校という組織が嫌で、保健室が安心できる場所だった。いつも学校は元気のいい場所で、あまり元気のない自分にはしんどい所だった。学校にいるだけで疲れるので、しょっちゅう保健室に行き休み場所にしていた。クラスの中で疲れた様子を見せると、みんなにどう思われるだろうかという不安もあった。 |
Fさん私は中学の時、親が懇談会に行くと、決まって先生に「誠実です」と言われる子だった。通知表にはいつも、掃除でも何でもまじめに一生懸命やる」と書かれていたが、いつもそこには、「誠実だけど、まじめだけど、もう少し積極的に」という先生の気持ちが伝わってきて、「もっと積極的にならなければ」という強迫観念に苦しんでいたよ。 |
でも、先生の影響は大きいよ。いつも自分はダメだダメだと思わされてきた記憶が強く残っているもの。
Gさん「アーベルに行く」と言うと、高校生の娘が「(不登校だった)お兄ちゃんばかりかわいがって」と言うので、来づらい。そう思われないように気遣っているつもりだが。「余計なこと、しないで!」と言うときもあるし、「私の方にも目を向けて!」というときもあって、難しい。外へ出たがらなくて困る兄と、外へ出たがりすぎて困る妹。うまくいかないねぇ。 |
Hさん定時制高校を辞め通信制へ。2回スクーリングに行きレポートも提出した。ガソリンスタンドでのバイトをやっと決めてきたが、そこではけっこう重宝がられて楽しそうにやっている。 |
Iさん週1回は疲れて休む中3の娘。「寝るとすぐに朝が来るのが嫌だ。寝たくないな〜」と言って夜更かししているようだが、1時頃には寝ているようだ。休む日はたいてい火曜日で、体育や家庭科があり、好きな部活が休みの日。中間テストが近いが、数学は1日休むとすぐにわからなくなり困っているようだ。親しい友達には会いたいが、行く気力が出ない感じ。 小3の娘は、1年の時行き渋っていたが、今は元気に通っている。「体育と音楽が好きで、だんだん学校が好きになってきたよ」なんて話している。 |
会員登録更新の時期になりました。2000年度もアーベルの会の会員になっていただける方(例会に出れなくても、このたよりを読んでくださるなら会員です)は、新年度の会費(4月〜3月)2000円を納入してください。納入は、同封の郵便払込取扱票でお願いします(加入者名のところには、アーベルの会と記載してください)。事務局の西か吉村、熊谷に直接渡していただいても結構です。
また、異動等で引っ越され、住所が変わる方は、払込取扱票にその旨をご記入ください。西に直接連絡してくださってもOKです。
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