西暦 | ニュートンと科学界 | 世界の歴史との比較 |
|---|---|---|
| 1543 | コペルニクス、『天球の回転について』を出版し、地動説を提唱。同年死す。 | ポルトガル人が種子島に漂着。 |
| 1572 | 新星が出現し、それが天界の領域にあることがわかり、旧来の宇宙像を揺るがす。 | 1573年、室町幕府滅亡。 |
| 1597 | ケプラー、『宇宙誌の神秘』を出版し、太陽系の幾何学的モデルを提出。 | 豊臣秀吉軍、再び朝鮮出兵。 |
| 1609 | ケプラー、『新天文学』を出版し、ケプラーの第1、第2法則を発表。 | |
| 1610 | ガリレイ、望遠鏡による月や惑星の観測を『星界からの報告』として出版。 | |
| 1611 | ケプラー、『屈折光学』を出版。 | |
| 1613 | ガリレイ、『太陽黒点についての手紙』を出版。 | 1615年、大阪夏の陣で豊臣氏滅亡。 |
| 1619 | ケプラー、『世界の調和論』を出版し、惑星運動に関する第3法則を発表。 | |
| 1630 | ケプラー、死す。 | |
| 1632 | ガリレイ、『天文対話』を出版し、ガリレイの相対性原理と円の慣性の考えを提示。 | |
| 1637 | デカルト、『方法叙説および三試論』を出版。 | 島原の乱。 |
| 1638 | ガリレイ、『新科学対話』出版し、自然落下の法則と投射体の運動の性質を明らかにする。 | |
| 1642 | ガッサンディ、『動いている物体に分かち与えられた運動について』を出版し、慣性の原理、ガリレイの相対性原理、自然落下論を展開。ガリレイ、死す。 アイザック・ニュートン、生まれる。 | イギリス、清教徒革命。 |
| 1644 | デカルト、『哲学の原理』を出版し、新自然学の哲学的基礎と渦動的宇宙像を提示。 | 中国、明の滅亡。 |
| 1645 | ブーリオー、『フィロラオス天文学』でケプラーの仕事を紹介、逆自乗力の考え方を提示。 | |
| 1646 | ニュートン(3)の母親、牧師と再婚。 | |
| 1649 | デカルトの英訳版『方法叙説』が出版。 | イギリス、チャールズ1世処刑。 |
| 1650 | デカルト、死す。 | |
| 1654 | チャールトン、『エピクロス・ガッサンディ・チャールトンの自然学』をロンドンで出版し、ガッサンディによって復活された原子論をイングランドに導入。ガリレオやデカルトの運動論も紹介。作用・反作用の原型が見られる。重力が月にまで及ぶという考え方も見られる。 | |
| 1655 | トマス・ホッブズ、『物体論』をロンドンで出版。 | |
| 1656 | ジョン・ウォリス、『無限算術』を出版。 | |
| 1661 | ニュートン(18)、ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学。 トマス・ストリート、『カロリーナ天文学』をロンドンで出版し、ケプラーの第1法則と第3法則を紹介。 | 1660年、イギリスの王政復古。 |
| 1662 | ロンドンで王立協会が設立。 | |
| 1663 | ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジにルカス講座が設置され、アイザック・バロウが着任。 | |
| 1664 | アムステルダムで『デカルト哲学著作集』(『哲学の原理』、『方法叙説』、『屈折光学』、『気象学』、『情念論』)が出版。 | |
| 1664 -65 | ニュートン(21-22)、『哲学的諸問題』と題する原稿を書く。 | |
| 1665 | ソールスブリー編訳の『数学的収集』第2巻(『新科学対話』等を収録)が出版。 ペスト流行のため、ケンブリッジ大学が閉鎖。 | |
| 1665 -66 | ニュートン(22-23)、『雑記帳』に衝突論、円運動論を記す。Vellum MSで地上の物体が地球の自転によって、宇宙に投げ出されないことの理由を計算する。 | |
| 1666 | フック、王立協会で惑星の軌道運動を、円錐振り子の運動との類比で説明。 | |
| 1667 | ニュートン(24)、太陽から遠ざかろうとする惑星の遠心的衝動が、太陽からの距離の自乗に逆比例することを明らかにする。 | |
| 1668 | ニュートン(25)、トリニティ・カレッジの上級メンバーとなる。 | |
| 1668 -69 | ニュートン(25-26)は、自己の運動、空間、物体、力の概念を明らかにする。反射望遠鏡を製作する。 | |
| 1669 | ニュートン(26)、ルカス講座教授となる。光学の講義を始める。 | |
| 1672 | ニュートン(29)、王立協会の会員に選出される。フックとの光学論争が始まる。 | |
| 1673 | ホイヘンス、『振り子時計』を出版し、遠心力の理論を発表した。 | |
| 1674 | フック、『地球の年周運動を観測から証明するひとつの試み』を発表し、軌道運動を接線方向と中心物体方向への運動の合成とみなす画期的な考え方を提出。 | |
| 1679 -80 | フックとニュートンとの間で軌道運動をめぐって論争する。ニュートン、ケプラー運動に取り組む。 | |
| 1684 | ハリーがニュートンを訪問する。ニュートン(41)、『物体の運動について』を草す。 | |
| 1686 | 『プリンキピア』第1巻が王立協会に提出される。 | |
| 1687 | 『プリンキピア』初版が出版される。この時、ニュートンは44歳。 | 五代将軍徳川綱吉、生類憐みの令。 |
| 1688 | イギリス名誉革命。 | |
| 1696 | ニュートン(53)、造幣局監事となり、ロンドンへ移る。ホイヘンス、死す。 | |
| 1699 | ニュートン(56)、造幣局長官となる。 | |
| 1701 | ニュートン(58)、ルカス講座教授を辞任する。 | |
| 1703 | フック、死す。ニュートン(60)、王立協会総裁に就任する。 | |
| 1704 | ニュートン(61)、『光学』初版を出版する。 | 1707年、イングランドとスコットランドが合併。 |
| 1713 | 「一般注」などを追加した『プリンキピア』第2版が出版される。 | |
| 1715 -16 | ライプニッツとニュートンを代弁するクラークが、神、世界、空間、保存則、引力等をめぐって論争する。 | |
| 1716 | ライプニッツ、死す。 | 八代将軍徳川吉宗、亨保の改革。 |
| 1718 | 『光学』第二版出版、「疑問」を追加。 | |
| 1721 | 『光学』第三版出版。 | |
| 1726 | 『プリンキピア』第三版出版。 | |
| 1727 | ニュートン、84歳で死す。 | 1732年、亨保の大飢饉。 |