|
概要
平和・環境をめぐる住民投票が、最近の1年間に相次いで3回も実現した。そのいずれでも、圧倒的な多数で「国策にノー」の審判を下した。その最初が、1996年8月4日に行われた巻原発住民投票で、日本で初めて原発建設の是非を真正面から問うものであった。その熱気がのこる一月後の9月8日には、沖縄県において日米地位協定の見直し・米軍基地縮小に関する住民投票が行われ、米軍基地縮小を決定した。そして、本年6月22日には、産業廃棄物処分場の建設めぐる岐阜県御嵩町の住民投票が行われ、建設反対が8割を占めた。そして、「住民投票のルーツは巻町。巻の条例は御嵩の参考になっているし、反対運動のビデオをみました」と産廃に反対する町民の会の会長は答えている。
こうして巻町から沖縄県と御嵩町へと、住民主権の潮流は確実に引き継がれた。「国策・国益」と称するする問題にたいして、地方自治体・地域住民は、民意の総意として明確なノーを宣言する時代が開始したのである。このような時代において、科学や教育と平和・環境との関わりを考えてみたい。
この住民投票の前後には、「もんじゅナトリウム火災事故」と「東海村再処理工場アスファルト固化体爆発事故」という、あってはならない事実の隠蔽事件を伴う二つの重大事故が発生した。いずれも、安全神話を根底から消しとばし動燃(動力炉・核燃料開発事業団)の病的な実体を露呈した。日本のプルトニウム政策を破綻させ、原子力政策の根幹を揺るがすことになる最悪の事故であった。
東海村再処理工場事故が発生した97年3月11日には、9州電力は宮崎県の串間原発を白紙再検討したいとし、25日には原発建設計画の完全放棄を表明した。実は、96年11月には、宮崎県の串間市長選挙では、原発反対で1年以内の住民投票実施を公約した山下茂市長が再選され、住民投票は決定的な段階を迎えていた(回避された住民投票)。
さらに、巻原発住民投票の前年の、被爆50年(侵略戦争後50年)にあたる1995年には、1月17日の日本の耐震技術の安全神話を一挙に崩壊させた阪神・淡路大震災、スミソニアン原爆展中止や中国とフランスの核実験再開、パグウオッシュ会議(核兵器廃絶をめざす科学者フォーラム)とロートブラット会長のノーベル平和賞、オゾン層破壊や核の冬を解明したドイツのパウル・クルッツエンのノーベル化学賞、等々と「核・平和・安全や環境」をめぐる問題が続出していた。そして、同年12月8日には、「高速増殖炉もんじゅのナトリウム火災事故」という世界最大級の高速増殖炉事故が発生したのである。
こうした、一連の流れの中で、巻の住民投票はいかに取り組まれたか。巻の住民の自治が、原発・環境問題に取り組む中でいかに成長をとげてきたか。その中で住民の立場に立った科学的な問題の解明や学習がどのような役割を果たしてきたか。などを考えてみたい。
さらに、住民投票の中で、無批判に国策を賛美して弁護してきた、えせ科学的行動のいくつかを、科学と平和・地球環境との関わりの原点である、次のような原爆・水爆開発の歴史と対比して述べてみたい。
かつて、ナチス・ヒットラーが先に原爆を手にすることを恐れた多くの科学者はマンハッタン(原爆開発)計画に動員され協力した。しかし、ドイツが原爆開発を断念し、降伏した時点では多くの科学者は原爆を日本に投下することに反対する署名運動(シラード等)などに参加した。特に注目に値するのは、前述の95年度ノーベル平和賞受賞者ロートブラット氏のみが公然とマンハッタン計画から離脱したことである。原爆開発の目的はもはや対ドイツではなく対ソ連のものとグローブス将軍(原爆開発の統括責任者)が公言したことが決定的であったという。原爆開発の大義名分は失われていた。
しかも、日本の敗戦は時間の問題になっていた。ソ連を仲介に降伏の道を探ったことすら米国は知っていた(暗号通信を解読して)。原爆を投下しなくても、天皇制さえ維持できれば日本は降伏することや、ソ連参戦で降伏することも予測した。原爆投下の大義名分はなかったのである。
広島(35万人)と長崎(24万人)に原爆が投下され、それぞれ20万人や10万人余の命が奪われ、市民の3分の2が犠牲になったといわれている。原爆投下を命じたトルーマンはその犠牲の多さに驚き、歴史を書き換えて「原爆は戦争終結を早め人命を救った」という虚構・神話を作った。つまり、戦後の関係者の手記(スチムソン)や回顧録(トルーマン)で、「100万とか、50〜100万人の米国民生命を日本上陸戦で犠牲にすると知らされた」と書いた。「なぜ原爆を落としたんですか」という子供の質問にトルーマンが「(原爆投下の)目的は最小限の犠牲で戦争を終えることでした。原爆の使用をためらったら30万の若者が死に70万人が重傷をを負っていたでしょう」と答えたシーンが被爆50年の特集テレビで放映された。こうした虚構がアメリカの教科書で教えられてきた。しかし、5千から数万人程度が日本上陸作戦の犠牲者予測であったのが真実。広島・長崎の犠牲者が30万人をこえるあまりにも悲惨なものであったがために、米国人犠牲者予測を100倍も大きく偽ったのである。さらに、原爆は対ソ優位を誇示するものでもあった。こうした歴史的な事実を認めようとしない人達がスミソニアン原爆展を中止した。
このスミソニアン原爆展を中止問題については、この8月22日には、それを契機にスミソニアン航空宇宙博物館長を辞任させられた、マーティン・ハーウイット氏の東京での「拒絶された展示」という講演が予定されている(高円寺の大学生協会館)。
日本が未だに侵略戦争責任を明確にしていないこと。フランスや中国、そして米国やロシアの核保有国が核の抑止力論にしがみついて、核実験やコンピュターによる核開発を止めようとしないこと。等、人類は未だに、科学を平和と環境のためのものとしていない。
工学的な安全神話を根底から覆した阪神淡路大震災から私たちは多くを学んだ。しかし、原発の地震対策では、なにも根本的に見直されず従来の地震対策基準でよいとの結論を出してしまった。日本のプルトニュウム政策を根底からゆるがした「もんじゅ」や「東海村再処理工場」の2つの重大事故から、何を引き出すのであろうか。再三の事故隠しに象徴されるような自浄能力を欠いた体質のまま、原発増設政策や再処理とプルトニウム増産政策などの根本的な転換が可能だろうか。プルトニウムは夢のエネルギーではない現実を直視できるだろうか。
チェルノブイリ事故11年後の石棺原発周辺の放射能値はひび割れにより増加している。ウクライナやペラルーシにおける甲状腺ガンや白血病等は10年以上経った今になって増加しているという。広島・長崎(外部被爆が主)と異なる放射能被爆(内部被爆が主)の後遺症が深刻化してきている。安全神話をもとに、放射能測定器すら配置されず、汚染の情報すら数年間も知らされなかった。事故の責任をちゃんととってもらう社会制度すら存在していない。虚構にもとづく安全神話の克服がどれだけなされるかどうかが徹底的に問われている。